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夏目房之介氏講演会「漱石の言葉」

―2007年12月1日のイベント
visit:2007/12/01

新宿区中央図書館で行われた、夏目房之介氏の講演会「漱石の言葉」を聴いてきました。

これはあらかじめ往復はがきで応募した人のみが聴ける講演会。受付でハガキを差し出すと、講演会レジュメや新宿区発行の「漱石山房秋冬」をいただきました。「漱石山房秋冬」は夏目漱石ものしり博士認定試験にもいただいたから2冊になっちゃいました。どなたか欲しい方います(笑)?

予定の13時半になると、房之介氏、新宿区立中央図書館館長、新宿区教育委員会の人が入場し、まずは教育委員会から夏目漱石ものしり博士認定試験成績優秀者の表彰。もちろん私は含まれていません(笑)。4名の内訳は、男性3名女性1名。漱石って男性に好まれる作家なのかもしれませんね。

次に、今年になって見つかったという、漱石山房跡猫塚復元記念式(1953年)の映像の上映。漱石のご家族として、鏡子夫人と長男の純一氏(房之介氏の父)が参列しています。純一氏がとにかくダンディ。漱石と房之介氏ってあまり顔が似ていないのと思うのですが、間に純一氏を挟むと似ている気がしてきます。

その後にメインの房之介氏による講演。房之介氏は、私が高校生の頃だったかな、NHKでレギュラーのコーナーを持っていて、なかなか面白かった覚えがあるのですが、その頃の姿と比べたらさすがに老けたなぁ。まあ、高校時代が20年も前なんだから私も老けてますけど(笑)。

ご家族が映っている映像の後ということで話はご家族のことから。鏡子夫人は世間(というか弟子達の間)では悪妻ということになっていますが、親族の間ではもっぱら「あの人でないと漱石夫人は務まらない」と評価が高いのだそうです。房之介氏自身が祖母の鏡子夫人を好きな気持ちが伝わってきて、こちらも好感を持ってしまいますね。

そこから漱石の残した文章やメディア論的な内容の話へ。メディア論的な話は房之介氏の専門ですから、その部分はやはり一番舌が回っていましたね。というより、房之介氏自身が直接漱石を知っているわけではない(漱石は純一氏が9歳のときに死去)ので、最前列中央で聴いているものしり博士試験成績優秀者を前に話すことに気後れを感じているようです。実際、テレビ番組で漱石の留学先であるロンドンに行ったのをきっかけにいろいろ調べてみるまでは、作品を一通り読んだことがある程度で、漱石に関する講演を頼まれても断っていたのだとか。

話の中でも一番面白かったのは、メディアによる言葉の使い分けの話で、発表の場が同人誌(読者が具体的に想定できる)から新聞(不特定多数の読者)に変わり、また新聞での「連載」という形での発表に上手く対応できるようになったのは『三四郎』からではとのこと。種類の異なるメディアのどちらでも文学史に残る作品を残しているってすごいですね。

一方、講演のメインといってもいい「言葉へのこだわり方」の話は、私にはイマイチ賛同できず。その話とは、「こども」という言葉に「小供」という漢字を当てている場合と「子供」という漢字を当てている場合があって、漱石の本を著している秋山豊氏によると、「小供」は「大人」に対しての「こども」に使用、「子供」は「親」に対しての「こども」に使用しているのだそうです。ただ、それらの漢字は、発行に際に出版社によってどちらかに統一されてしまっているとのこと。

この二種の表記を秋山氏は漱石のこだわりとしているが、房之介氏の考えでは、発行の際に出版社に直されるがままになっていることから考えるとそんなにこだわっているのではないのではと。それより日本語の「いい加減さ」(言い換えれば寛大さ)を知っていて、どちらでもいいって言ったら変だけど、どちらでも使える日本語の幅の広さを遊んでいたのではないかという説なんですね。

しかし思うに、まず「小供」と「子供」の使い分けって、漱石特有のこだわりというわけではなく、分ける人は分けて使ったのではないかと思うんですよね。明治と今を一緒にして語っちゃいけないのかもしれないけど、運賃なんかの表記ではこども料金って「小人」とか「小児」って書きますよね。私も使い分けているって聞いたとき、真っ先に「大人」に対する場合と「親」に対する場合って考えたし、わりと広く知られた使い分けではないかと思うのです。

それを直されるがままになっているのって、日本語の幅の広さを楽しむとかってより、大衆がそれを望むならしょうがないなぁ的なあきらめではないかと思うのですが、どうでしょう。漱石って他人には寛容、自分には厳しい人って気がするし、だからこそ自分に近い身内には厳しくて、「他」である弟子達にとっては鏡子夫人が悪妻ということになってしまう。これって寛容と言えば聞こえがいいけど、自分や身内に求めるレベルより他人に求めるレベルを落としているってことでもありますよね。「小供」と「子供」の件もそんなものではないかと思うのです。

なんて感じで、いろいろ考察するのも面白いですね。日々、本を読み終わってもそんなに深く考察せず、すぐに次の本に手をつけてしまいますが、講演を聴きながら自分もあれこれ考えるのは楽しいです。