深川図書館100年のあゆみ~百年図書館の歴史と未来~
visit:2009/12/03
深川図書館は、1909年(明治42年)に2館目の東京市立図書館として開館したのを起源とする江東区立図書館。2009年(平成21年)は開館100周年ということで、その歴史を振り返る展示を深川図書館・江東区文化センター・江東図書館で順に行っていました。私も深川図書館展示最終日に見てきました。
現在の深川図書館も、どっしりした構えのいい建物ですが、初代の建物は1907年(明治40年)の東京勧業博覧会の瓦斯館として使われたものを東京市が譲り受けたものなのだそうです。入口付近が円柱の上に円錐が乗った形状の建物で、そこから廊下で渡して、長方形に近い建物に繋がっている形。初代深川図書館の建物を上からみると、こけしを横に倒した感じなんです。
場所も当初は深川公園、深川不動尊の西の公園にあったんですね。知らなかった~。当時の地図によると、深川公園の北半分(今、グラウンドになっている辺り)に池があり、公園の南に深川図書館があるという配置。円部分を頭とすると、頭を西に向けて建っています。不動尊のすぐそばに洋館の図書館があったんですね。不動尊への参道には、当時も現在のように小さい店がたくさん並んでいただろうし、それと大きな図書館という組み合わせは、なかなか面白い風景だったのではないでしょうか。
この初代深川図書館は、1923年(大正12年)の関東大震災で焼失してしまいます。翌年6月に仮設図書館が開設され、1928年(昭和3年)に現在地に移設されました。震災後の区画整備も兼ねての移設かなあと思いましたが、深川公園から清澄公園への移設なのであまり関係ないか。いつも池や緑がそばにあるところを選んでもらっているって恵まれていますよね。「図書館」というイメージが、今のように駅近とか利便性を求められるよりも、むしろ「ゆったりとした環境での知的空間」というものだったということなのかもしれません。
清澄公園へ移設した深川図書館は、現在と同じ場所で、大きさもだいたい同じだったのかな。入って、右が児童室、左が新聞閲覧室というのは、現在と同じですね。写真を見ると、「婦人室」なんてものがあってびっくりします。明治から戦前にかけては、まだ男女が気軽に同席するものではないという風習が残っていたり、風紀上の問題があって、婦人室や婦人席が用意されている方が一般的だったのだとか。
婦人室という発想は、中野区立中央図書館の展示「中野交通ノスタルジー Part1」にあった明治時代の電車の婦人専用車を思い出します。これも男女が同じ電車に乗ることで風紀が乱れたことからできた車両なんです。最近の図書館は、女性専用席はたまにみかけますが、"婦人室"はさすがに私は見たことありません。それとも私が見てないだけで、広い日本のどこかには現存しているのでしょうか。電車でも女性専用車両が復活してしまったんだから、絶対ないとは言い切れないですよね。あったら見学してみたいなあ(そのような部屋を用意しなくてもいい、痴漢等が発生しない世の中の方がいいとは思いますが)。
震災での焼失を経て清澄公園へと移設された深川図書館ですが、戦争が始まるとまたも戦火の被害を受けます。1945年(昭和20年)1月には空襲の直撃弾により、2階閲覧室が大破してしまったのだとか。職員さんが備品や資料を火の中から運び出し守ってくれたというエピソードは、この展示内でも紹介されているし、他のどこかでも読んだなあ。資料を守った職員さんに敬意を払うとともに、同じような気持ちで資料を大切に利用しないといけないと気が引き締まります。
戦後、東京市が東京都になったのにともなって、東京"市"立深川図書館も東京"都"立深川図書館へ。そして、1950年(昭和25年)10月には都から区へ移管されて、江東区立深川図書館になり、現在へと至ります。建物としては、1993年(平成5年)に一度改築しているのですよね。私は改築以前の深川図書館には行ったことないのですが、比較的最近のできごとなのでまだ覚えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。
深川図書館の入口ロビー(というほど広くもない)を使っての展示でしたが、知らないことも多く見ごたえありました。展示だけでなく、「深川図書館100年のあゆみ」という本も江東区教育委員会で発行したんです。価格は1000円で、江東区役所2階の「こうとう情報ステーション」で売っているとのこと。もちろん江東区立図書館で借りられますよ。私もそのうち、この本を借りて、深川図書館の歴史を更に詳しく知ろうと思います。