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「中野交通ノスタルジィ Part1」

―2007年9月29日から2008年2月28日までの展示
visit:2008/02/10

中野区立中央図書館の地域資料などがある参考室特設コーナーでは、半年単位くらいで中野区に関する展示をしています。2007年9月から2008年3月までの展示は「中野交通ノスタルジー」。中野区を通る公共交通の昔がわかる展示です。

特設コーナー一番右には中野の交通史の年表があります。明治2年乗合馬車開通に始まり、甲武鉄道(現中央線)の開通、西武軌道(路面電車)、乗合自動車などなど、交通手段が増えて行くのがわかります。この年表の明治45年のところに「中央線に婦人専用車ができる」とあるのは、まさか今の女性専用車両と同じ理由でできたのか、それとも明治時代ならではの理由があるのかと興味をそそられたのですが、これについては後述。

展示内容は「明治・大正時代の乗り物あれこれ」「中野駅・東中野駅のなりたち」「中央線のはじまり」「中野を走ったバス」と大きく4つに分かれています。

「明治・大正時代の乗り物あれこれ」では、人力車・乗合馬車・自転車・路面電車の紹介。この頃の自転車はそれは乗り心地が悪かったようですね。ママチャリのある時代に生まれてよかったです(笑)。人力車の説明では「徐々に改良を重ね、ついには海外へ輸出するほどになった。輸出が最も盛んなころには、中国やインド、エジプトなどでも大流行したと伝えられている。」とあります。

エジプトで人力車!人力車と言われて引く人が和装である映像を思い浮かべちゃうとびっくりするけど、椅子に貼る布をその地域の布にしちゃえば、意外と世界中の町になじむのかも。

「中野駅・東中野駅のなりたち」にあった中野駅周辺改修大工事の話は、1年前の展示「商店街からたどる“なかの”の足跡」でも大きく取り上げられていたものですね。それに比べたら小さい工事だったのでしょうが、東中野駅も2度ほど改修したようです。

元々は柏木駅と言う名前で今より新宿寄りにあった駅が、周辺住民が増えるにつれ増設する必要が出てきて、1度目は同じ場所で改修したけど、2度目はその場所では収容能力が足りなくて、中野寄りに移設したんだって。

「中野を走ったバス」では、転車台のイラストもありました。鍋屋横丁を基点とした路線で、道が狭くてUターンができないので、地面をぐるりと回して車の方向を替える転車台を使っていたのですが、大正時代だと転車台も手動というか人力で回転させるんですね。写真があれば見てみたいですね。

それにしても中野区でメインの交通と言ったら、やっぱり中央線でしょう(と言ったら、他の沿線の人は怒ります?)。展示も「中央線のはじまり」が一番面白かったです。

中央線の起源、甲武鉄道は、もともと玉川上水の土手を線路敷地として活用して、新宿から羽村までの馬車鉄道を通す計画だったんですね。でも申請したときには、上水の汚染と土手の損壊を懸念されて許可が下りなかったのだそうです。その後、蒸気機関車の時代になったときに、新宿~八王子間を第一期工事とする蒸気鉄道としてあらためて出願。その後、いろいろ計画を変更して、やっと許可が下りたそうです。

許可が下りたのが明治21年3月31日、工事を始めたのが同年7月1日、開通が明治22年4月11日と、かなり過密スケジュールで開通を実現させたのは、有名だった小金井の花見に間に合わせたかったからだとか。4月11日って、下手すりゃ桜散っていますよね。無茶するなあ(笑)。

開通に関する話としては、甲武鉄道社内の複数の路線案の対立の話や、施設反対運動の話も展示されていて、これらも面白いです。汽車が来るのを反対して、その後活気が衰えた鍋屋横丁の例を考えても、こうしたいろんな動きが一つ違ったら、中野区の風景は全く違ったものになったんだろうなあって。

さて、中央線の特別な列車として紹介されている「花電車」。これが、先の年表に掲載されていた婦人専用車です。展示の文章を引用させていただきますと

午前午後の登下校の時間帯。車内は男女通学生でかなり混雑していた。男女の隔たりの大きかった時代のことである。舞い上がった男子学生たちは混み合う車内を利用して、恋文を渡したり、あろうことが痴漢を働いたりした。当時の学習院長乃木希典を始めとして、当然のように国鉄には苦情が殺到した。事態を重く見た国鉄が実態調査を行ったところ、確かに女学生の電車利用が減っている。そこで学習院の女学部を始め、御茶ノ水付属、三輪田などの各女学校へ、この婦人専用車の利用を呼びかけ、前述のような運びとなったわけです。

…って、やっぱり今の女性専用車両と同じような理由じゃん!全く、男性諸君、もっとしっかりしてくださいよ!!と、明治時代の男子学生に文句言いたくなってきちゃいますね。ちなみに「前述のような運び」というのは、この専用車、多くの女学生が利用して大盛況となったようです。

この他、実現しなかった幻の路線の話や、岩渕文人氏製作の模型なども展示してあり、見応えのある展示です。この展示は2月28日までで、その後は「中野交通ノスタルジー Part2」をやるとのこと。次も楽しみです。