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秋の図書館フェア「図書館から文学のおくりもの」 ~詩歌・戯曲

―2007年10月から11月11日までの展示
visit:2007/11/10

荒川区立図書館では、秋の読書週間に区内5館共通の図書館フェアを行い、全体テーマを5分野に分けて展示を行っています。2007年の全体テーマは「図書館から文学のおくりもの」。日暮里図書館の「歴史小説(日本)」に続いて、2館目として訪れたのは荒川図書館です。

荒川図書館の担当は「詩歌・戯曲」。私が最も苦手なジャンルです(笑)。

まず1階では、カウンター前の丸柱をぐるりと囲む棚が特集コーナーで、詩・短歌・俳句・戯曲の本が並べてあるだけでなく、作者紹介など職員さんの手による展示がいろいろ。

戦国時代の武将の辞世の句が三つ展示されていたんですけど、これが格好良く見えるのは当然句そのものというより、それに見合った生き方を送ったからこそですよね。上杉謙信の「四十九年 一酔夢」なんて、長生きのリスクに備えて毎月保険を払うような現代人が発したところでとてもとても。でもまあ実際、よく考えよう、お金は大事だよ、ですよね(笑)。

2階の階段上がって右の辺りにも展示コーナーがあって、こちらは「作って楽しむ」「目で楽しむ」「耳で楽しむ」。短歌や俳句の作り方、詩歌の朗読CD、演劇の写真集などが展示してあります。詩は苦手な私ですが、耳で聴くと結構心に入ってくるかもしれませんね。

ところで、戯曲って日本にしかない概念だって知ってました?1階の展示にあった平凡社大百科事典からの引用を、ちょっと長いんですけど更に私が引用すると、

<戯曲>という概念は、近代の日本語に固有のものであり少なくとも西洋にはこの概念はない。<ドラマ>といえばもちろん演劇そのものをさす言葉であるし、英語の<Play プレイ>も読む戯曲を示すと同時に、舞台上でも演じられる演劇を意味している。読むべき戯曲と演じるべき演劇とを分け、前者をひとつの用語として独立させたのは、日本の近代の習慣にすぎない。
 その理由は西洋において文学としての戯曲が軽視されていたわけではなく、むしろ逆に、あらゆる舞台上の演劇がそのまま文学であることは当然と考えられていたからだ。これに対して、近代以前の日本の場合、能楽も歌舞伎も現実には文学的な筋と言葉を持ちながら、それを<文学>として読み、解釈し、批評する習慣は長らく確立していなかった。
 上演台本が文学でもあるという意識は新しく西洋の演劇が紹介されたときに輸入されたものであり、この事実の発見を特に強調するために、あえて<戯曲>という新語が発明されたといえよう。

確かに私、戯曲を読むのって何か本物じゃない感があるんですよね。演劇そのものを見るのが本物だろうと。で、そこにあった本をパラパラめくっていたら、三谷幸喜も『オケピ!』のあとがきで

僕にとっての戯曲とは設計図にしか過ぎないわけで、

ってなことを書いているのですね。でも、そういう書かれるものと演じられるものとの区別自体が西洋にはないとは。

で、せっかくなので、たまには珍しく戯曲を読んでみようと、その『オケピ!』を借りてみました。さて日本人の私が文学としてちゃんと楽しめるかな。