「文化センター図書館の歴史」

―閉館時の展示
visit:2008/05/20

北区立文化センター図書館は、近くに北区の新しい中央図書館が移設されることにともなって、2008年6月1日を最後に閉館することになりました。私が2008年5月20日に訪問したところ、カウンター向かって右の地域資料の棚の付近の壁面を利用して、「文化センター図書館の歴史」という展示をしていました。通常の特集コーナー(児童コーナー入口手前左の棚)とは別ですのでご注意を。ちなみにその特集コーナーではまた別の展示(「恋する読書」)をやっていて、こちらも面白かったですよ。

文化センター図書館の入っている中央公園文化センターは北区中央公園の中にある施設なのですが、この中央公園は戦前は陸軍の軍用地だったんですね。北区はそうした土地が多く、新しい中央図書館も東京砲兵工廠銃砲製造所として使われていたレンガ倉庫を利用して建てられています。中央公園の方は、戦後米軍のキャンプ王子として利用され、その後中央公園となりました。

そんな経緯のある中央公園に経っている中央公園文化センターも元々は東京第一陸軍造兵廠本部。それが、1945年10月に米陸軍技術情報センターとして利用され、米軍から返還されて中央公園文化センターとして開館したのは1981年1月17日。今は白塗りの建物はなのですが、展示によると建設当初(1930年)は茶色の建物で、米陸軍技術情報センターになったときに白く塗ったのだそうです。図書館を出た後で中央公園文化センターを見ながら周囲を一周したのですが、ちゃんと見ると確かに塗りつぶしたといった雰囲気の壁面でした。

この展示コーナーにある資料は、このテーマに関連する所蔵資料だけでなく、この展示のために職員さんが作ったか、もしくは図書館ではなく中央公園文化センターの資料なのか、貸出用バーコードのない資料がいくつかありました。

その一つ「北区立中央公園文化センター略史 中央公園文化センターをめぐる歴史・古墳石室・遺跡」によると、ベトナム戦争時にはこの敷地に野戦病院があったのだそうです。いや、同じくこのコーナーにあった「北区史」の関連ページのコピーによると、最初予告なしに野戦病院をこの場所に移設すると発表したら、日本国内からの批判が相次いだ(そりゃそうです)ので、その後「米陸軍病院」と改称し、傷兵が戦場から直接送り込まれるような病院ではなく、野戦病院でそれが必要だと判断された病人のみが転院してくる施設になったとのこと。

それでも周辺に住む方々は、傷兵を送ってくるヘリコプターの騒音や、マラリヤ患者などの収容による防疫上の不安、風紀の問題なども心配するということで、大きな社会問題になったんですね。デモなども行われたそうです。その一方、付近のクリーニング店は米軍施設のために仕事が増えたりしたのだとか。

この場所はそんな歴史を背負いながらも、今は緑に溢れ、スポーツ施設がたくさんある公園に生まれ変わっています。中央公園文化センターは建物としても素敵なので、ドラマなどにもときどき利用されているのですよね。だからといって、ここに昔があって、そこでどんなことがあったかを忘れてはいけないでしょう。そしてそういった経験を、もっと住み心地のいい世の中にするために使わないといけないですよね。

今回閉館するのは文化センター図書館だけですので、中央公園文化センター自体は当然これからも利用できます。文化センター図書館のこの展示コーナーでは、文化センター図書館との思い出を募集しているので、今まで利用してきた方はぜひ一言投稿してみてはいかがでしょうか。