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柴田元幸さんトーク&朗読イベント『世界文学を愉しもう VOL.7』

―2017年12月13日のイベント
visit:2017/12/13
§ 第7回目の柴田元幸さんのトークイベント

2017年12月13日、江戸川区立葛西図書館で開催された柴田元幸さんのトークイベントに行ってきました。葛西図書館では、アメリカ文学の研究者で翻訳家の柴田さんをお招きして毎年トークイベントを行っており、今回が7回目。人気の高い柴田さんの話が聴けるということで、油断していると定員がすぐ埋まってしまう、恒例の人気イベントとなっています。

今回のテーマは<文学の「声」>。翻訳では、意味が正しいかという英文和訳的な正誤だけでなく、原文の文体、雰囲気、調子(この辺りを差した「声」)を伝えているかどうかが重要だという話を、実例を示しながら説明してくださいました。単純な例でいうと、「This is a pen.」を「これはペンです」と訳すか、「これ、ペンだよ」と訳すか、「こちらがペンになります」と訳すか。意味としてはどれも合っているけど、伝わってくる空気は全然違う。翻訳には、前後の文脈だけでなく、作品全体の「声」を理解し、それを訳文で表現することが必要になります。

講演では、原文と訳文の例を掲載した資料が配布され、具体的に解説していただきました。例えば、"The Catcher in the Rye" と "David Copperfield" の冒頭の一節について、柴田さんがそれぞれ2通りの訳文を作っているのですが、"The Catcher in the Rye"の方を堅苦しい文章に訳して、"David Copperfield" を投げやりな文章に訳すと、'David Copperfield kind of crap' の意味がまるっきり逆になってしまう。

また、この講演の数日後に、柴田さんの翻訳による『ハックルベリー・フィンの冒けん』が発売されたのですが、この翻訳についても、ハックは学歴がなく語彙も少ない、そのリアリティを訳文でどう表現するかということに苦労したそう。タイトルが「冒けん」となっているように、漢字についても一つ一つ、ハックはこの漢字なら書けるだろう、この漢字は書けないだろう、いや、ひらがなが多すぎると文章として読みづらくなるから、この漢字は書けるということにしよう、など考えながら訳していったそうです。

柴田さんは、新訳を出すことを「ある意味、旧訳に喧嘩を売る行為」とおっしゃって、「『ハックルベリー・フィンの冒けん』は上手く喧嘩を売れた例」ともおっしゃっていました。こちらも冒頭の一節の翻訳を、本の発売に先立って資料に載せていただいたのですが、旧訳よりも断然こちらのほうが、ハックがどんな人間なのかが伝わってきます。『ハックルベリー・フィンの冒けん』も、これだけを読んでもいいと思うけど、あえて旧訳を読んだ後にこちらを読めば、翻訳に込めた「声」がより感じ取れるかもしれません。

ちなみに、今回のテーマ<文学の「声」>、私は講演を聴いているときには、どうしてこれを「声」と呼ぶのかしっくり来なかったのですが、後になってわかったように思います。私は朗読が定額で聴き放題のAmazon Audibleを利用しており、"David Copperfield" や "Adventures of Huckleberry Finn" もラインナップに入っていたから聴いてみて、そのときに思ったんです。「朗読するときに、どういう調子で読むか」というのと同じような意味合いでの「どう訳すか」ということなのではと。朗読も、書かれている文章を正確に読めば間違いではない、でも読んでいるときの調子が作品世界と合わないと、こんな話ではないのに!と思ってしまう。そういう意味の「声」だったのかと、遅ればせながら気づきました。

§ 柴田さんと聴講者による珠玉の対話

「珠玉の対話」はやや言い過ぎかもしれませんが、今回は柴田さんのお話だけでなく、質疑応答の時間にされた、柴田さんと聴講者による、質疑応答というより対話といっていいやりとりがとてもよかったんです。以下、私の記憶によるものなので、細かい部分では記憶違いもあるかもしれませんが、大意で捉えていただければと思います。

講演の中で、柴田さんが大学で受け持っている授業でビリーホリデイの歌詞を翻訳する課題を行ったときに生徒さんの一人が提出した訳文を取り上げました。それは、意味を取り違えているので、英文和訳的にはダメな答案になってしまうけど、和歌のリズムをもった文語で訳してあり、今回のテーマである「どういう声で訳すか」という意味ではいい翻訳だと。

質疑応答の際、聴講者のお一人から、「この生徒さんが使った、和歌のリズムをもった文語で訳すという手法は、遠い昔の平安時代を思い起こされ、私にはビリーホリデイの詞の訳に使うには古すぎるように感じた。でもそれは、私とこの生徒さんのビリーホリデイの時代に対する古さの感覚の違いかもしれない。私は平安時代と比べてビリーホリデイは近く感じるけど、この生徒さんにとっては平安時代もビリーホリデイも”昔”でひとくくりにできるくらい遠いものなのかもしれない」という意見が出ました。

それに対して柴田さんは、この質問者さんが「この訳は古すぎておかしい」とおっしゃらずに、「訳をした人と自分との時代感覚の違い」と捉えたことを素晴らしいとおっしゃって(私も大いに同意)、「声」の感覚は人によっても時代によってくるし、だからこそ文学作品も時が経ったらその時代に合った新訳を出し直す必要があるということを話したように記憶しています。

するとその後、別の聴講者さんが「さきほど、この訳が古すぎるように感じるとおっしゃった人がいて、自分もそう思ったが、柴田さんがいい例として提示した翻訳なのだから好意的な目で見てみようともう一度読んだら、明治・大正くらいの感覚で受け取れてしっくり来た」とおっしゃったんです。なるほど、(厳密にはビリーホリデイより少し昔の人だけど)与謝野晶子などを想起してこの文語和歌リズムの訳を読むと、生徒さんがこの文体を選んだことがぴったりに思えてくる。

このお二人の質問者さんが、実際には質問というよりそれぞれの捉え方を話してくださったおかげで、私も、そしておそらく他の聴講者の皆さんも、この翻訳の読み方や文学の「声」に対する理解が深まったと思います。

他にも興味深い質問がいろいろ出たのですが、もう一つだけご紹介すると、写真を生業にしている方が、「写真の世界では、昔は3人称の視点で撮られる時代があり、その後に1人称の視点で撮られる時代が来て、今は確固とした視点がなく何でもかんでも相対化してしまっているという流れがあるのですが、文学ではどうですか」という質問をしたんです。それに対する柴田さんの答えは、どうだと言い切るお答えではなく、この作品はこういう視点で書かれているといくつかの例を挙げて答えていたと記憶していますが、この写真の流れも含めてこのテーマだけで話していただきたい、できればこの質問者さんの話もじっくり聞いてみたいと思わせるやりとりでした。

こうして書きながら振り返るに、たくさん刺激を受けてとても充実した時間でした。柴田さん、質問した皆さん、葛西図書館さん、素敵な時間をありがとうございました。この刺激を心に刻んで、翻訳文学をたくさん読んでいこう。

たぶん来年もおおよそ同じ時期に開催すると思うので、ご興味ある方はぜひ。ただ、煽るわけではありませんが、参加者募集を始めてから定員に達するのが年々早くなっているので、参加したい人には申込開始日当日に申し込むことを強くお勧めします。そして、もう一度、あの場にいた皆さんへ、素敵な時間をありがとうございました。