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「商店街からたどる“なかの”の足跡 PART2」

―2007年2月24日から9月27日までの展示
visit:2007/09/05

以前行って面白かった中野区中央図書館の企画展示、『商店街からたどる“なかの”の足跡』のPert2。前回は中野駅周辺だけを取り上げた展示だったのですが、今回は中野区内のいろいろな商店街を取り上げた展示です。こういうのを見ると図書館巡りをしていてよかったなぁと思います。なぜなら、中野区民でも周辺住民でもないのに、図書館がある駅の商店街なら行ったことがあるんですね。野方とか、新井薬師とか。

中野区の青梅街道周辺は、江戸時代から周辺の畑からとれる大豆・そば・小麦から作ったものを売って潤っていたのですが、明治になって本格的に商業として盛んになって、醤油・味噌の醸造所、製粉所、ビール工場が並んだのだそうです。ここに展示されていた浅田ビール(明治17~45年に製造されていた)のラベルなんて、今見てもなかなか格好いいですね。

この浅田ビールの繁盛ぶりを伝えるエピソードとして

明治二十年頃、桃園小学校初めての運動会が開かれた際には、ビールを大量に寄付。王子の飛鳥山で開かれた運動会のために遠路ボコボコ道を運ばれてきたビールは、栓を抜くと泡をふきだして大騒ぎになったという話もある。

という記事も展示されています。この頃の運動会は学校行事というよりお祭りみたいな感じだったんでしょうね、きっと。それにしても中野区の小学校の運動会に北区の飛鳥山まで行くってすごいなあ。

ここで紹介されている商店街で、私にとって一番なじみがなかったのが鍋屋横丁。図書館巡りでうろうろしているがゆえに、図書館が近くにない地域はよくわからないという弱点が露出しました(笑)。

展示の説明によると、大正から昭和初期にかけては中野で一番の商店街だったものの、明治20年に中央線を青梅街道沿いに通そうという話が持ち上がった際に、住民が汽車の煙や音を嫌がって大反対。今では中央線沿線の反映している商店街に比べて、以前の活気が衰えてしまったみたいです。新しいものに対して、受け入れるか拒否するか、まだよくわかっていない時期に判断するのは難しいよなぁ。

その他、野方の商店街は戦争で被災しなかったおかげでいち早く復興したとか、東中野に不動産屋が多かった理由とか、興味深い話がいろいろ紹介されています。「商店街を歩いた作家たち」と題する、作家が描いた商店街の文章を集めたものも楽しかったですよ。「あ~、この人、このまちが似合ってる」みたいな組み合わせがあったりして。

展示自体は既に終わっていますが、中野区中央図書館の展示内容は中野区立図書館の地域資料として保存されているので(中央図書館に限らず、中野区立図書館全館で所蔵しています)、ぜひそちらでご覧になってくださいね!