「家族」
visit:2011/10/19
篠崎図書館は、館内のあちこちでミニ特集を作ってくれている、書架を巡って楽しい図書館。入口入ってすぐ左にも大きな特集があり、利用者の目を楽しませていますが、その大特集コーナーの2010年10月1日から10月31日までのテーマは「家族」。私も何気なく展示本を手に取ってみたところ、図書館内で涙を堪えなければいけない本に出会ってしまいました。
その本は、『満月の夜、母を施設に置いて』。表紙イラストが松尾たいこさんで、それに惹かれて手を取ったところ、この本は詩集で、詩人の藤川幸之助さんが認知症のお母様の介護の中で作った詩を集めたものなんです。これが人のずるいところも思い知らされる作品で、心にずしんと来てしまいました。
お母様が認知症になった当初は、お父様がまだご存命で、藤川さんは忙しいのを言い訳にお母様の介護をお父様に任せきりだった。それが、お父様が亡くなることで、介護が藤川さんにのしかかってくる。正直言ってやりたいことではない、でも自分しかいない。その葛藤がとても伝わってくる。Amazonでこの本のカスタマーレビューを見ると、いわゆるきれいな「親を思う優しい気持ち」を描いているのをいいとしているレビューが多いですが、そこではなくて、面倒だというずるい気持ちもちゃんと描いている、そここそがこの詩集の素晴らしいところだと思います。単純に優しさだけで語れるものではない、だから1編の詩ではなく、詩集を読んだ方が絶対にいい。
認知症ではないけど、私も父が亡くなる際には、本当に深刻になる前、まだ入退院を繰り返した頃はあまり看病にはいかなかったので、面倒くさいという気持ちはまるで自分のことを描かれているよう。今は母はうるさいくらいに元気ですが(笑)、願わくばこのまま介護が必要な状態にはならないで欲しいと思うし、それは身内の健康を願うというだけでなく、自分の時間を介護に奪われたくないからという気持ちも確実にある。そういう、表に出せる気持ちも表に出せない気持ちも詩という形で描いているこの詩集は、本当に心に響いて、図書館の座席で読んでて、涙をこらえるほどでした。
しかし、特集コーナーに戻って、他の本を手に取ったら、こんな感動も吹っ飛んでしまうような現実を知らされることに。『またあの一日がはじまる―児童虐待の真実』という本を開いたら、親と離れる方がその子の身を守ることになるようなケースがいくつも紹介されています。こうした話って、本などの媒体で見聞きしても身の回りではなかなか出くわさないけど、それは周囲に存在しないのではなく、うまく隠されていて見えないだけかもしれないんですよね。
あと、読んでて痛ましいのが、虐待を受けた子どもが成長した後、自分が親になるのを躊躇するという話。確かに、家族とは何か、肉親というのはは子どもにどう接するものか、よその人がいるときではなく家族だけでいるときにどんな振る舞いをするかというは、自分の実際の家族だけしかモデルがないんですよね。卑近ところでは、外で行儀よくしている人が身内しかいないところではどれくらい行儀を崩しちゃうかとか、身内といってもどの程度本音を言うかとかって、話に聞いたりすることはできても、本当のところは自分の家族のケースしかわからない。どこまでが躾や愛情で、どこまでが虐待か、虐待の例しか知らなかったら、どう振舞えばいいかもわからなくなっちゃいますよね…。
そうした重い本を続けて読んだ後に、特集コーナーから荒木経惟の『幸福写真』を見たら、ホッとしました。本を閉じても重い現実は存在するので、違う本に逃げただけでもあるのですが、普通の人の笑顔や真剣な顔を見ているだけでも心が和らぎます。どうやったらそのとき出会った人からこんな表情を引き出せるんだろうと、荒木さんに感心してしまいますが、もしかしたら重い関係性がないからこそ引き出せるという面もありますよね。こじれた家族も、他人が入ることでいい顔を見たり見られたりすることがあるかも。
家族って、近すぎるからこそ、こうして本を読んでいろんな家族の形を知ったり、自分の家族を違う視点から眺めてみたりする時間を作った方がいいのかもしれませんね。本って熟考する材料にもなるし、客観的な視点を与えてくれるというメリットもある。そんな風に見つめなおしていることを知られたくないときなどは、本を買うのではなく図書館で借りると、返してしまえば手元からなくなるという利点もありますね。図書館の家族本、ぜひ活用しましょう。