白根図書サービススポットさんぽ記事 喧騒から静寂へ
白根記念渋谷区郷土博物館・文学館では渋谷区立図書館の予約受取サービスをしている、それが博物館・文学館のリニューアル改修工事のため2026年3月22日でサービスを終えると知り、それまでに行ってみようと足を運ぶ。クリスマス前の週末、混んでいることを覚悟しつつ表参道駅から歩くルートで行き、覚悟通りの人気に辟易、だが青山学院大学の脇道を半分ほど進むとさっきの喧騒はどこへやら、いい感じの静けさで青山通りの賑わいが引き立て役のように感じられてしまうくらいだ。
そんな風に静かだからこそ、頭上を通り過ぎる飛行機の騒音をことさら感じてしまう。2020東京オリンピックを契機にした羽田空港の新飛行空路は私の住む江東区もほんの少し影響があるので気にはしているが、江東区と江戸川区の間を流れる荒川の上を通るようになっているのでそれほど「頭上を通っている」感はない。それと比べると渋谷区のこの様子には「頭上を頻繁に飛行機が通っている」感を強く覚えてしまう。都心の中の静けさを求めてこの辺りに住むことを決めた人はまさか飛行機の騒音に静けさを破られるとは思わなかっただろう。
六本木通りを渡って常陸宮邸の脇を抜けた先に白根記念渋谷区郷土博物館・文学館がある。閑静な住宅地の中にある落ち着いた外装の建物で周囲に溶け込んでいるが、雰囲気を乱さないことよりわかりやすさを優先した「白根図書サービススポット」の看板が立っており、ここが目指す場所だとわかる。そういえば前に春日町図書館で聴いた図書館が建てられた頃についての講演会の中で、設計会社は建物と一体化したデザイン重視のサイン(看板)を好む、でも自治体としては公共施設にはわかりやすいサインを付けたい、そうでないと場所の問い合わせも増えるし場所がわからないというクレームも来るという話があった。サイン一つをとっても立場の違う考えがあり、物語があったりするのだ。
建物に入ると、右に博物館・文学館の受付があり、左に文学館所蔵の本が手に取れる場所がある。その左側の空間の手前側の一画が白根図書サービススポットだ。ここでは、借りた本の返却、予約資料の受取ができるほか、利用登録もできるし検索機も1台あって渋谷区立図書館の資料検索ができる。私の今日の用事は登録更新、登録したときから住所が変わっているのであらためて申請用紙を書いて提出し、カウンターの前にあった展示コーナーを見ているうちに更新が終わって、図書館カードを返してもらう。
そう、図書サービススポットには蔵書がないが小さな棚で展示をしていて、この日は上側半分で「クリスマスの物語」をテーマとした展示、『クリスティー傑作選 クリスマスの殺人』、田中芳樹『白魔のクリスマス』、赤川次郎『三毛猫ホームズのクリスマス』などが並んでいる。物語の中でもミステリに特化した感じだが、そういう選書をしたのか、はたまたミステリ以外が借りられて残ったのがこれなのかは謎だ。蔵書バーコードを見ると、笹塚、富ヶ谷、臨川とさまざまで、いろいろな館の蔵書を取り寄せて展示コーナーを作っているようだ。
棚の下半分は博物館で開催中の企画展示「写真展 青山通りを走った都電 -金子芳夫撮影写真からⅡ-」にちなんで、『全盛期の東京都電』、東京人1997年1月号「都電のゆく町」、『都電が走った東京アルバム』のうち渋谷を駅を通る系統を収録している第2巻と第7巻と、都電に関する本を並べている。この記事の書名に国立国会図書館サーチへのリンクをつけるときに気が付いたが、雑誌・東京人には2007年5月号「昭和30年代、都電のゆく町」というのもあるのにあえて1997年の古い方を展示に使っている。渋い選書だ。
図書サービススポットを離れて、隣にある文学館の棚を覗く。特に説明もなく、三島由紀夫、与謝野晶子、平岩弓枝、竹久夢二、島尾敏雄、国木田独歩、田山花袋などの著作が並んでおり、渋谷区に関連する文学作品ではなく著者が渋谷区に関係するような気がする。それを知るためにも受付で100円を払って正式に入館する。1階が企画展示、2階が博物館、地下2階が文学館とのこと。
企画展示は、壁に都電を移した写真と同じ地点の現在の写真という組み合わせが約20点あるのに加えて、中央にガラスケースに入った資料がある。壁の写真を見ると、建ち並ぶ建物こそ変わっているものの車道幅が都電が通っていた頃と現在とでさほど変わっていないことに気付かされる。考えてみれば、もしこの先都電荒川線を廃止することになったとしても、それによって車道幅を変えるという話にはならないだろうからそんなものか。
ガラスケースの資料はいろいろ興味深くて、まずは昭和25年の都電の電車案内の中の路線図が西を上とするかたちで描かれているのだ。「西が上」で真っ先に思いつくのは江戸の古地図、でも昭和25年ともなれば北が上の地図が当たり前だったろうし、特にレイアウトの都合(横長の紙面に縦長の配置を描かざるをえないなど)があるとも思えず、どうしてこうなったのか好奇心をそそられる。
1967年の全住宅案内地図からは、青山学院大学から青山通りを挟んだ対面、現在国連大学や旧・こどもの城がある場所が都電の車庫だったことがわかる。ここに東京都立中央図書館を移転する計画があるのだが(詳細はこちらの2番目の項目)、元はそんな場所だったのか。
少し前の渋谷のことを見た後はもっと昔に遡る博物館フロアへ、ここでは古代から現代へと順に渋谷区の様子を展示している。古代の展示で1971年の千代田線敷設のトンネル工事の際に神宮橋の真下の地下約21mのところからナウマン象の骨1頭分丸々発見されたというエピソードが紹介されていたのが印象的で、たまたまその向きにキバが埋まっていただけであろうところを当時の新聞記事の文面が「ナウマン象が作業員の方に向いてキバをむいている」と扇情的に書いているのに苦笑してしまう。
江戸時代には、現在の青山学院敷地が伊予西条藩松平家上屋敷跡、旧・こどもの城が淀藩稲葉家下屋敷跡など武家屋敷として使われる一方、1932年に大東京35区が布かれるまでは東京市の外だった渋谷区、都心での需要に応じた農産をするのにちょうどよかったようで、稲作をしたり、乳牛を育てる牧場を作ったり…と展示の順序に沿って郊外的エピソードをずっと読んだ後に同潤会アパートに関する展示を目にすると、ああ文化的!と思ってしまうのが面白い。この前段階なく同潤会アパートの話を読んだら「同潤会アパート=レトロ」という概念にはめ込んでしまうところ、この時系列の展示のなかにあると「銀座などに比べたら田舎だったこの場所にもやっと近代の風がきた」感覚になるのだ。
地下の文学館は、渋谷区に住んだことのある作家について、それぞれが渋谷について書いた文章を引用しつつ紹介する展示になっている。やはり1階の棚にあった作家は全員渋谷区に住んだことがあり、なかでも平岩弓枝と文芸評論家の奥野健男は生涯渋谷区内に住んでいたのだそう。こちらの展示は博物館と比べるとやや物足りなく、作家を紹介する展示を見るより実際の作品を読むべしということかと受け取ることにする。
それにしても、かれこれ1時間半展示を見ていたが、ほとんど独り占め、つまり私以外に誰もいなかった。正確には、企画展示を見ていたときに二人連れ1組が来たし、図書サービススポットを利用する人は何人かいた。だが、常設展示を見ている間にそのフロアに別の人が来ることは全くなかったのだ。入館料を払うときに受付の人と話したときは、ハチ公や同潤会アパートなど人気の高い企画展をするときには人が多く来るとは言っていたのだが、今日はそういう日ではなかったということだ。
リニューアルの基本計画によると、文学館を切り離して博物館中心にしたうえで、デジタルなどを活用して体験の感覚を得られる施設・展示にするのだそう。今の博物館も充分楽しめたのでそれを拡張することには賛成する気持ちもあり、でも誰もいないために展示に浸ることができ、表参道の喧騒から離れた静けさのなかで過ごせたことも含めていい時間だったので、それがなくなるかもしれないのを残念に思う気持ちもある。そういう私も、そもそもここに渋谷区立図書館の図書サービススポットが設置されなければ来ることがなかったかもしれない。せっかくこの場所を知ったのだから、リニューアル後も来てみよう。
ここで本を借りるのも最初で最後になるかもと思いつつ、図書サービススポットの展示コーナーにあった『クリスティー傑作選 クリスマスの殺人』を借りてから建物を出た。