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日暮里図書館さんぽ 寂聴尼の念

visit:2026/09/25

借りている本の再貸出をしに、日暮里図書館へ。2週間前にいったときは記憶に頼って遠回りしてしまったが、帰るときに図書館から日暮里駅までの最短ルートを理解したはず。なので、今日はその最新の記憶を頼りに歩いてみる。

この道のはずと街並みに注意して歩いたことで、建物に取り付けられている街区表示板の下部に荒川区キャラクターのあら坊・あらみぃが描かれていることに気付く。ネットで調べてみると、2016年度からあら坊・あらみぃ入りのバージョンを使っているそうだ。思えば、私が当サイトを始めた頃の荒川区立図書館カードは特にキャラクター化されていないと思われる笑顔の女性のイラストだったが、現在の図書館カードはあら坊・あらみぃのイラストである。図書館ごとにキャラクターを作っているところもあるが、荒川区はいろいろな行政サービスで徹底的にあら坊・あらみぃを登場させるスタイルだ。

カウンターで次の予約がないことを確認して再貸出してもらい、その流れで2階閲覧席の利用申し込みをしようとして、今は座席管理はカウンターではなく座席予約システムでしていることを教えられる。言われてみればそうだった。カウンターから新聞・雑誌コーナーに向かう途中に蔵書検索と座席予約ができる端末が並んでおり、そこで利用者番号を入力(スキャン入力はできない)→座席の種類(2階閲覧席/2階PC持込席/コミュニティルーム/PC利用席)と利用時間を選択→表示された座席番号の中から使いたい座席を選択、として座席予約が完了。エアコンの風が苦手な身には、操作する端末に備えてある座席配置図で空調の風が直接あたりづらい席に色を付けてくれているのが嬉しい。

2階は階段を上がってフロアに入った正面に吉村昭ギャラリーがあり、向かって左が職員用事務所、右側に閲覧室、飲食スペース、コミュニティルームがある。閲覧室は、持参PCを使える席が壁に沿って14席、それ以外の閲覧席が42席。平日17時過ぎである現在の埋まり具合は、PC持込席が5割程度、閲覧席が2割程度だ。長くつながった机だが、1人分ずつ仕切りがあって集中できる。閲覧室入口に手作りの消しゴムかす入れが並んでいる様子に、さすが手作りの街・日暮里繊維街にある図書館だと思う。

1時間ほど読書や書きものをし、残りの時間で吉村昭コーナーを見ようと閲覧室を出る。座席予約のときに閉館時刻までの利用で申し込んだのでそれを解除しなければならない。座席予約端末は2階にはないので1階に戻って解除手続き、そこでそばにある展示「クリエイターの本棚」が2週間前に来たときとは別のクリエイターの展示に切り替わっていることに気付く。

「クリエイターの本棚」は日暮里繊維街で活躍しているクリエイターの作品とともに、影響を受けた本を展示するコーナーで、12回目の今回は羊毛フェルト作家のまもぽんさん。動物をかたどる作品にも「まもぽん」と名付けているそう。展示本としては『モモ』『西の魔女が死んだ』『海辺のカフカ』など、直接羊毛フェルト造りに繋がる本というよりは、世界観に影響を受けた本というところか。

展示されていた『翻訳できない世界のことば』を手に取る。「翻訳できない」というよりは、ある言語ではそれで1つの単語になっているが、別の言語ではそれを指す1単語がなくて文章で説明することになってしまう、そんな言葉をイラストレーターである著者のイラストとともに紹介する本だ。例えば、スウェーデン語の「モーンガータ」は「水面にうつった道のように見える月明かり」、アラビア語の「サマル」は「日が暮れたあと遅くまで夜更かしして、友達と楽しく過ごすこと」という意味だそうで、確かにそれを一言で指す日本語の単語はない。日本語の単語で取り上げられているのは「こもれび」「ぼけっと」「わびさび」「つんどく」の4つ。この本は英語で書かれた原書を和訳したもの、つまり英語の話者にとってぴたっとくる言葉がない日本語の単語として挙がるのがこれらの言葉ということだ。

同じ著者の『ことばにできない宇宙のふしぎ』も展示されており、こちらは自然科学を独特な比喩・視点で語る自然科学イラストエッセイというところか。たとえば、太陽に照らされて育っている植物・動物を人間が食べて生きていることを「太陽を食べる」と称したり、原子核の周りで電子がうごめく様子を「空っぽの空間でダンスを踊る」と表現したり。その独特な感性が面白くて、迷ったあげくに借りてしまった。わりとページ数のある本を3冊借りているので、これ以上は借りないつもりだったのに。まあ、『宇宙のふしぎ』は薄くはないが厚くもないので、よしとしよう。

思わぬ寄り道をしたが、2階へ戻って吉村昭ギャラリーへ。吉村昭といえばゆいの森あらかわと併設の吉村昭記念文学館の方が立派で充実しているが、氏の生家がこの東日暮里にあるというゆかりがあり、日暮里図書館にもギャラリーがあるのだ。改修前は今コミュニティルームとなっているところも吉村昭コーナーで、2013年に「吉村昭『海の壁』と『関東大震災』」という展示をした際には当時の天皇陛下(今の上皇)がご観覧になったこともある。吉村昭ギャラリーにもご観覧の際の写真が飾られている。

今の吉村昭ギャラリーは、広さをもつ「区画」というより、図書館事務所と閲覧室を結ぶ通路の「壁一面」を使って写真や著作を展示するかたちである。中央に今年度末でゆいの森あらかわ・吉村昭記念文学館が10周年を迎えることを伝えるパネルがあり、もうそんなになるのかと時の流れの速さを思う。

展示されている『吉村昭記念文学館 常設展示図録』の中に瀬戸内寂聴の寄稿文が掲載されていて、その最後で吉村昭・津村節子両氏の鴛鴦文学館を造るよう言い出したのは私だということを忘れてくれるなと荒川区長に訴える一文があり、思わず笑ってしまう。吉村昭記念文学館は9つあるゾーンの1つが津村氏のゾーンでやはり吉村氏がメインという雰囲気が強いが、今の日暮里図書館の吉村昭ギャラリーは大きく伸ばした結婚写真が壁を飾り、おそらく開設当初に撮影されたであろう荒川区立図書館ウェブサイト内の吉村昭ギャラリーの頃よりも「おしどり」に寄った展示になっているのだ。何だか、瀬戸内寂聴の念が通じたのを見た気分である。

おしどり文学館というかたちは取っていないが、荒川区の吉村昭記念文学館と津村氏が特別館長を務める福井県ふるさと文学館は「おしどり文学館協定」を結び、企画展示を行うなどしているのだそう。ただ、ここにある本を読むに、二人の関係は単なるおしどり夫婦というだけでなく、小説家同士としていいライバルの関係だったようだ。吉村氏の著作だけでなく、津村節子の著作もあるのだが、その中の一つに独身の頃は小説家になることしか頭になく、結婚する気はなかったと書いてある。そんな二人の関係を「おしどり」の一言に集約すると違う印象になる気がして、少しもやもやしてしまう。

さて、いろいろ書いてきたが、実は私は吉村氏の著作はもっぱら荒川区の特設コーナーでぱらぱらめくる程度で、きちんと読んだことがない。歴史ものは苦手なので歴史小説家のイメージが強い吉村氏の著作にもあまり手が伸びなかったのだ。あらためて『常設展示図録』を読むに、初期の作品は後のイメージとは違う作品のようで興味を惹かれる。例えば、文庫本の『少女架刑 吉村昭自選初期短篇集Ⅰ』などは歴史小説が苦手な私にも面白く読めそうだ。が、今日は既に予定外の1冊を借りたのでやめておく。

ときどき思うのだが、私は今51歳、たとえ100歳まで生きられたとしても読みたい本を生きているうちに全て読み終えることはできないだろう。なぜなら、読んでも読んでも新しく読みたい本が現れてくるからである。これを「いつまでも読み終えない」と捉えるか、「いつまでも面白そうな本が現れる」と捉えるかだな、と思いながら図書館を出た。

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