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江東図書館さんぽ 詩心のなさを痛感

visit:2025/11/14

江東図書館の自動返却機へ本を返した後、2階の一般書架を歩く。先日、多摩市立中央図書館のビブリオバトルの後に参加者数人でお茶したときにエミリー・ディキンソンの詩「I'm Nobody! Who are you?」を教えてもらったことが頭に残っていて、英米文学の詩の棚に向かう。

実はその詩を暗唱してもらったとき、4行目が全然ピンと来なかった。出る杭は打たれる的な発想だとsomebodyであることのほうが内緒にすべきことのように感じられるし、ネット犯罪のニュースの見過ぎなのか「nobody同士の繋がり」という概念から真っ先に浮かんだのが「身分を隠して悪事を働いたり、他人を貶めたりする人」で、そちらに引っ張られてこの詩が表現していることがよくわからなかったのだ。たぶん真っ先にそちらを思い浮かべてしまうくらい、名前を伏せたがる人に対して私が猜疑心を抱いているということなのだろう。

その後、ネットでこの詩の解釈をいろいろ見ていたらこちらの解釈を見つけ、私の中でこの詩の印象が様変わりした。確かに、nobody同士というだけでなくpairだと言っている。どこの某であるとか肩書だとかではなく、ウマがあったもの同士がその関係を大切にするのに余計な言葉はいらない、のように解釈したら、なんと素敵な関係だろうか。

英米の詩(931.6)の棚でエミリ・ディキンソンの本を探すと、タイトルでわかるだけでも『エミリ・ディキンスンを読む』『ディキンスンの詩法の研究』『エミリの詩の家』の3冊が見つかる。最初の本は全般的な解説本、2番目の本はタイトル通り詩の構造などを分析的に解説する本、対して3番目の本は私のエミリ愛を聞いて!という感じの熱い本。それぞれ興味深く拾い読みする。

私はこれまで積極的に詩を読むことがなく、日本の詩もあまり読んでいないなと思って、日本の詩(911.5)の棚へ移動。とりあえず知っている人の作品を読んでみるかと思い、金子みすゞ、中原中也などパラパラとめくってみるがピンとくるものがなく、自分の詩心のなさを痛感する。川上未映子の『先端で、さすわさされるわそらええわ』が目に留まり、表題作のビシビシと言葉がこちらを刺してくる感覚に圧倒されて心を掴まれるが、この作品はどちらかというと詩というより散文、この棚でも心惹かれるのがこういう作品だということにやはり私の詩心なさが証明されてしまった気になってしまう。

まあ、無理に詩を読むことはないだろう、そのときの気持ちに詩の方が合うときはきっと詩の本に手が伸びるはず、と根拠のない開き直りを抱いて図書館を出る。