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ひきふね図書館さんぽ 進んでいるのか戻っているのかわからない

visit:2025/09/07

休日1日を使って大きな図書館へ散歩にでも行こうという気になり、ゆいの森あらかわを目指したのんびり歩きの寄り道スポットとしてひきふね図書館へ。まどろっこしい言い方をしてしまったが、江東区は北砂図書館の近くにある我が家から三ノ輪を越えて町屋にう途中にあるゆいの森あらかわまでは普通に考えたら歩いていく距離ではない、実際今まで一度も歩いて行ったことはない、だから一応目指してみるが途中で力尽きたらそれでも構わない、それくらいののんびりした気分で家を出て、休憩を兼ねた中継地としてひきふね図書館に行ったのだ。

加えて言うと、家からひきふね図書館に行く際も寄り道をしていて、前に「カフェ」でGoogle Mapを検索したときに見つけて気になっていた亀戸のクレシェンドでモーニングを食べてきた。褒めている口コミ数件を見た程度の事前知識で行ったら、テーブルに「スイーツ・お菓子持ち込み自由」と書いてあり、このお店は何なんだと驚く。席についてからあらためてウェブサイトを見てみるとどうやら真空管が好きなマスターによる喫茶店のようで、確かに店の奥にはどーんと大きなスピーカーがある。だからと言っていい音を拝聴しなさいといった堅苦しい雰囲気は全くなく、現にスピーカーの真ん前に座った女性のマシンガントークが少し離れた私の席まで丸聞こえ、同時に大スピーカーからもBGMが流れ、大きな声の客の話が聴こえてしまうこととBGMを聴きながら考え事をしたりすることが不思議に両立する。

お店のウェブサイトの「ひとりごと」というちょっとした日記風のページに「気が付けば残り少なくなってしまった人生。思いっきりこれで遊ぶぜ」(引用注:「これ」は真空管のこと)と書いてあり、私もそんな風にいつまでも毎日楽しんでいたいと思う。いい心持を分けてもらった気分で、いざ出発。

ひきふね図書館は去年行ったのが最後で1年ぶり。日曜なので人も多く、閲覧席はほとんど埋まっている、でも完全に埋まっているわけではない、そして椅子席はわりと空いている、という程度。面白そうな本を見つけて立ち読みではなく座って読みたくなったとしても空いている席が難なく見つかるのが嬉しい。

長い散歩の途中で、先日下落合図書館から借りた本もまだ読み終わっていないので、ここで本を借りるつもりはない。目的もなく本棚を見ながら一般書架全体を一通り歩く。直近で行った図書館が棚間が広くて開放感がある下落合図書館だったせいか、天井までの高さがある棚がびっしりと並ぶひきふね図書館にいつもに増して圧迫感を覚えてしまう。伝記の棚や経済・社会の棚、文庫本の棚もその背の高い棚の一番上の段まで本が入っていて、「○○に関する本を中身を見て選びたい」というときにその○○がちょうど一番上の段だと面倒くさいことになりそうだ。パッと見で利用者が自由に使える書棚用梯子はなさそうだから、いちいち職員をつかまえて頼まないといけない。今日の私のような「棚で面白い本を見つけたら開いてみよう」程度の気持ちだと、面倒を嫌ってその本を諦めてしまう。

図書館に関する本の棚(015)で、小田垣宏和『図書館パートナーズのつくり方-図書館からのコミュニティづくり』を見つけて、あら小田垣さんお久しぶりとご本人に会ったような感覚になる。小田垣氏はこのひきふね図書館が開館するにあたってスタートした図書館パートナーズの方で、図書館パートナーズ主催のイベントとして私の講演会&パネルディスカッションを開いていただいたという縁がある。そういえば、図書館パートナーズだった別の人からも今年に入ってから東京図書館制覇!が続いているのを見つけて懐かしくなったというご連絡をいただいた。あれからもう13年、あの頃は出来たての新鮮さがあったひきふね図書館も今や使われてきた年月による風格が出ている気がする。

読書(019)の棚で、山本貴光『投壜通信』が目に留まる。目次を見て「書店こわい」の章が気になって読み、この人の文章はいいとあらためて思う。『図書館を建てる、図書館で暮らす』を読んで以来私のなかで気になる書き手になったのだが、そういえば『図書館を建てる~』は途中まで止まったまま最後まで読んでいないのだった。図書館で借りた本には返却期限があるが買った本には期限がないのでこういうこともしばしば起こる。しかもこの本はまず図書館で予約し、順番が回ってきて読み始めたら折にふれて読みたくなるような内容だったので、そう思った時点で本を買いに行き、図書館から借りた本は次の人に回すべく返して、続きは買った方の本で読む、という読み方をしたのだった。返却期限を気にしなくていい状況にしたことで、自ら途中放置への道に進んでしまった感じだ。これを機会にまた続きを読み始めよう。

そうやって一般書架の端から日本図書十進法に従って並ぶ本を順に見ていたら、進んでいるのか戻っているのかわからなくなるような違和感を覚える。この感覚は何なんだと思ったら、実際にひきふね図書館の書架が進んでいるのか戻っているのかわからなくなるような並べ方なのだ。3,4階を占める一般書架の4階で説明すると、カウンター側から奥に向かって、8類 言語→6類 産業→5類 技術→(中略)→1類 哲学→0類 総記→7類 芸術と、最後の7類を除けば第一区分の数字が減る方向に並んでいる。なのに、8類 言語の中での並び順はカウンター側から奥に向かって800から899へと数字が増える方向に並んでいるのだ。

具体的に3桁の数字をカウンター側から奥に向かってみていくと、800,801,…898,899,600,601,…698,699,500,501…。1つ目の数字は減っていくのに、2,3番目の数字は増えていく。私は奥からカウンター側に向かって順に見ていたが、それだと棚の切れ目の関係で、000,001,…079,080,146,147,…,198,199,100,101,…145,281,282…という順に見ることになり、ますます訳がわからなくなる。

この並べ方にも驚いたが、自分がこれまでそれに気が付かなかったことにも驚いた。先に書いたような縁があるので開館当初から来ていたし、この辺りには東向島珈琲店のようないい感じのカフェもあるのでそこに行ったついでに寄るなど、ひきふね図書館にはわりと何度も来ていたのだ。特に探している本もなく端から順に見るということでもしないと気付かないということか…。自分の観察眼への自信が揺らぐなか、図書館をあとにした。

(この後結局ゆいの森あらかわまで歩いていったのだが、辿り着いたときにはとにかく座っていたい気分で、ただただ田中慎弥『完全犯罪の恋』を読んで過ごす。図書館さんぽをするには図書館に着いた後に図書館の中を歩き回る余力が残っている必要があるという当たり前のことに気付かされた)