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下落合図書館さんぽ 棚間の広さにいい気分

visit:2025/09/03

新宿に行く用事があり、そのついでに下落合図書館へ。いや、下落合図書館は下落合駅・高田馬場駅が最寄りなので、ついでにと言うには数駅電車移動しないといけないのだが、下落合図書館が開館したのが2017年3月11日、8年半経ってもまだ足を運ばずにいたので、数駅移動で行けるこの機会に行ってみようと思ったのだ。

初めて行くとはいえ、場所は勝手知ったるところ。というのも、下落合図書館は2013年6月に閉館した旧・新宿立中央図書館があった場所に新しく建てられた図書館なのだ。1972年に開館した旧・中央図書館は、2006年に耐震性診断で問題ありとされ、耐震工事には多額の経費と使い勝手が下がる改修が見込まれたために別の場所に移転することに。それでも現在の中央図書館が完成するまでは旧・中央図書館が存続し、こちらは危険だから立ち入り禁止、あちらも立ち入り禁止といったかたちで、どうか地震が起こらないようにとヒヤヒヤしながらの開館だった記憶がある(私が一人で勝手にヒヤヒヤしていただけかもしれないが)。移転作業を経て、現在の中央図書館が2013年7月に開館したあと、旧・中央図書館が取り壊されて、今はその場所に下落合図書館が建っている。

そんなわけで何度も行ったことがあるから地図など見る必要なし。と思いきや、最後に行ったのは10年も前、 高田馬場に降りること自体も久しぶり過ぎて自信がなくなってくる。さかえ通りに進めばいいはずだと歩いてみても居並ぶお店のどれ一つも記憶にひっかからず、通りの出口の先に見える東京富士大学の校舎に、ああ見覚えがある建物がやっと現れたと安堵する。

2階への階段を上がって入るかたちの旧・中央図書館を思い出しながら辿り着いた下落合図書館は、1階がガラス張り、2階には丸い窓が横2列に並ぶモダンなデザイン。道路から少し奥まった場所に図書館を建てて、その分空いた手前の空間には樹木のわきに休憩できるベンチなどもある。竣工して既に8年経っていることもあり、小洒落たデザインながらも周囲に馴染んでいる雰囲気だ。

1階は入ってすぐの辺りが新聞・雑誌、ネット閲覧PC、CD。階段・エレベーター挟んで奥に進むと介護・高齢者支援コーナー、地域資料、行政資料、ガイドブック。ん?旧・中央図書館の跡地にしては、すぐに奥に突き当ってしまい、想像していたよりもずっと狭い。下落合図書館は「旧・中央図書館の跡地に建てられた」というより、「跡地の<一部>に建てられた」ということか。後で調べてみたら、西隣の保育園などが入っている建物までが旧・中央図書館の跡地だった。冷静に考えると、旧・中央図書館を別の場所に移して更に跡地に同じ規模の図書館を新しく建てたら、図書館以外の区の部署が黙っていないか。

2階は児童エリアと一般書架。一般書架の一番奥には、座席確保システムを通して使う席もある。書架を見て回ると、何だか本がよく見える。そうか、棚と棚の間が広いからだ。棚から少し離れて幅広く俯瞰して見られるし、人とすれ違うときもストレスをあまり感じない。

ここに来る前の用事で、人、人、人の新宿を歩いてうんざりし、東京は私が快適に思える人流を超えてしまったのではないか、東京から別の場所に移住したほうが気持ちよく暮らせるかもしれないとまで思っていたのだが、棚間が広いうえに夏休みが終わった9月初めで利用者も少ない下落合図書館は何と居心地がいいことか。すっかり気に入ってしまった。

何か面白そうな本があったら借りていこうと、特にあてもなく書架全体をうろうろ。作家論(J02)の棚を見て、新宿区では作家論の本の図書記号に論じられている作家ではなく本の著者の頭文字を採っていることに気付く。

私の住む江東区では、作家論(910.28)の本は論じられている作家の頭文字が図書記号に使われる。なので、例えば内田樹が書いた『村上春樹にご用心』は「910.28 ウ」ではなく「910.28 ム」になり、それを元に並べられた作家論の棚は著者が誰であるかに関わらず村上春樹について書かれた本がまとめて並ぶようになる。一方、下落合図書館の場合は著者名を使った図書記号なので、同じ村上春樹に関する本でも鈴村和成『紀行せよ、と村上春樹は言う』は「J02 ス」、平野純『村上春樹と仏教 2』は「J02 ヒ」になり、村上春樹を論じる本が作家論(J02)の棚の中に点在することになる。

もちろん裏を返せば、いろいろな作家の研究本を書いている特定の文芸評論家の本を読みたいというときには、江東区方式だと棚に点在、新宿区方式だとひとまとめになっているということになるので、絶対的にどちらの分類が正解というわけではない。並べ方が違うと同じ本を探すときでも周囲の本が違うということになり、知らない本との出会いに繋がったりして面白い。

私にとっては珍しい並べ方である新宿区の作家論の棚を見ていて、猪瀬直樹『さようならと言っていなかった』があるのに気付き違和感を感じる。猪瀬直樹は確かにノンフィクション作家という側面もあるが、この本はざっと見た限り、都知事就任から疑惑があって辞任して、妻が亡くなって…、という政治活動、そして家族のことを中心とした内容らしい。これが「作家論」の棚にあることにひっかかってしまったのだ。

この私の「この本はざっと見た限り」という行動には、実は新宿区立図書館ならではの行動が含まれている。と言っては大袈裟だが、新宿区立図書館では本の帯を本の中にこっそり忍ばせていて、それを見たのである。図書館の蔵書となった本の帯の扱いにはいろいろなやり方があり、単純に廃棄する(完全に廃棄する前に新刊紹介の意味合いで図書館内に掲示されることも多い)、帯をかけた状態で本の保護フィルムを貼る、帯を外した状態で本の保護フィルムを貼ったうえで本の見返し部分に帯を貼り付けるなど、図書館によってさまざま。で、新宿区立図書館はどうしているのかというと、帯を外した状態で本の保護フィルムを貼ったうえで、カバーが本の内側に折り返されているところがフィルムで固定されることで袋状になった部分に帯を入れているのだ。

保護フィルム内方式や見返し貼り方式ほど保存しようとする意図はない、でも本の情報が書かれている帯を廃棄するのはもったいない、何かいい方法がないかと辿り着いたのがこのやり方なのだろう。袋状になった部分に差し込んであるだけなので、利用者の誰かが抜いてしまえばそれまで。通だけが知る秘密の情報みたいでちょっとわくわくしてしまう。実際、シンプルなカバーデザインで中身の想像がつかないこの本も、夫婦の写真や林真理子から寄せられた一文が書かれた帯が忍ばせてあり、内容を知る手掛かりになった。

分類に話を戻すと、国立国会図書館サーチでの『さようならと~』の情報では分類が916(日本の手記・ルポ)である。が、同じページ内でわかる各都道府県立図書館の分類は910(日本の作家研究)が圧倒的多数、916に分類しているところが少し、富山県立図書館だけが915(日本の日記など)という状況だ。猪瀬直樹を文筆活動がメインの人とみなすか、政治活動メインの人とみなすかという違いなのだろうか。

更に新宿区立図書館の図書記号まで話を戻すと、この記事を書くなかで気が付いたことがあり、鈴村和成『紀行せよ、と村上春樹は言う』は下落合図書館では「J02 ス」だが鶴巻図書館と北新宿図書館では「J02 ム」、平野純『村上春樹と仏教 2』は下落合図書館と戸山図書館では「J02 ヒ」、角筈図書館では「J02 ム」となっており、同じ新宿区内でも図書館によって分類が違うのだ。この辺も図書館巡りをしていると、中央集権的に全館ピシッと統一された分類をしている自治体と館ごとにローカルルールが垣間見える自治体があるのがわかって面白い。

さて、こんな風に分類についてさんざん考えを巡らせた作家論の棚では結局ピンとくる本が見つからず、更に書架を歩いて歩いて目に留まった上田岳弘『旅のない』を少し読んで今日の貸出はこれに決定。新宿の人の多さに疲れていた気分もすっかり晴れて図書館をあとにした。