玉川台図書館さんぽ 横尾忠則に浸る
世田谷美術館で開催している「横尾忠則 連画の河」、その後に世田谷美術館と同様に最寄り駅が用賀駅である玉川台図書館に行く心づもりで足を運ぶ。横尾忠則の連画、今日の自分は昨日までの自分と続いてはいるけど同じではないというのが絵のエネルギーとともに伝わってきて、とってもよかった。できることならこの企画展に通いたい、見ているこちらもその日ごとに感じるものが違うはずと思うも、そもそもこの企画展自体が明後日で終わってしまうのだった。
ミュージアムショップで図録を買おうかどうか迷う。できることなら通いたいという気持ちを満たす代替品として図録は最適だ。ただ、この後図書館に行って書架を巡るつもりの身としては、エレガントな図録を所望した横尾忠則に応えてサイズを大きく余白も多くとったこの本を買うことは、わざわざ荷物を増やすことになる。どうしようと思いながらサンプルをめくり、隣に誰も見ていないサンプルがあるのになぜか私がめくっているサンプルを一緒に眺めて「見に来てよかった」と話す女性2人連れの声に心の中で「うん、よかった」と同意するうちに買う決心がつく。リュックだけのはずが図録入りのエコバッグを手にした姿で玉川台図書館へ向かう。
世田谷美術館から玉川台図書館へは、環八東名入口の大きな交差点を越えて、更にその方向を1km弱進んだ辺り。高速から降りたばかりでまだスピードを落としきれていない車がちらほらいてヒヤッとする。道中で何やら広い様子の謎の空間があると思って近付いてみたら「五郎様の森緑地」とある。このときには既に閉園時間で入れなかったが、昔からある自然林のよう。住宅地の中にこういう場所があるのが実に世田谷区らしい。
玉川台図書館は、玉川台区民センターの3階だ。世田谷美術館に近いことから図書館エリア入った右先に美術館の図録を集めた美術館コーナーがあり、先程私が買ってきた「横尾忠則 連画の河」の図録も表紙を見せておいてある。こうして図録だけがぽつんと置いてあるのをみると、その展示に実際に足を運んだことについ優越感を覚えてしまう。そういえば展示されていた年表で知ったのだが、横尾忠則は世田谷名誉区民になったそうだ。
美術館コーナーからの連想で一般書架の美術の棚に行くがあまりピンとくるものがなく、そういえば横尾忠則は小説も書いていたなと思い付き、小説の棚へ向かう。棚にあったのは『絵画の向こう側・ぼくの内側』『原郷の森』『猫背の目線』『ぶるうらんど』の4冊。開いてみると、『原郷の森』『ぶるうらんど』が小説、『猫背の目線』『絵画の~』がエッセイで、そうか玉川台図書館は小説とエッセイを一緒の棚にする並べ方だったかと気付く。今日の私のように何か横尾忠則が書いたものを探すときには両方が1箇所に集まっているので便利、でも小説のつもりで借りたらエッセイだったという羽目にならないためには1冊1冊を見て確かめる必要がある。
ちなみに世田谷区は、中央図書館や下馬図書館は小説とエッセイが別の棚、玉川台図書館や深沢図書館は一緒といったかたちで(いずれも私が最後に行った時点。たぶん今も変わっていないはず)、館によって小説とエッセイの並べ方が違うのだ。どちらかが主流ということもなく半々に近いかたちで分かれていて、この中央集権的ではなく各館分権な感じも何だか世田谷区らしい。
『ぶるうらんど』を借りることに決めて、まだ閉館時間までもう少しあるので館内をぶらぶら。社会科学の棚で『遅刻してくれて、ありがとう』という書名が目に留まり、どういうことかと開いてみると、約束の相手が遅刻したことで思わぬ自分の時間ができた、つまりそれくらい社会の変化に追いつくことで精一杯になってしまっている、意図せずできた自分時間のように立ち止まった方がいいのでは、という本らしい。アメリカ人が書いたこの本の日本語版の発行日が2018年だから原書はもっと前に書かれたものだろう、でも2025年の私も読んでみたくなる内容だ。ただ、今はまだ横尾忠則の連画にエネルギーをもらった気分に浸っていたい。今日はどうも横尾忠則気分から抜け出せなさそうだ。
借りた『ぶるうらんど』と買った図録『横尾忠則 連画の河』の2冊の横尾忠則を手に図書館を出た。