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石神井図書館さんぽ 未知の種を発見した生物学者のように

visit:2026/01/10

当サイト宛に石神井図書館の情報に関するメールをいただき、せっかくなのでこの機会に石神井図書館に行こうと家を出る。最後に行ったのは2014年でもう10年以上も前、石神井公園駅を降りると駅直結商業施設エミオも私が最後に来たときの倍くらいに増殖していてきょろきょろと見回ってしまったが、図書館への道中でこちらは昔と変わらない石神井池に沿った道を歩いているうちに心も落ち着いてくる。

駅から1.3km歩いた先の石神井図書館は練馬区で2番目、1970年に開設された図書館だ。建物は2009年度に大規模改修をしているため、棚の間の通路も広くて本棚巡りをしやすい。まずは入口入ってそのまま進んだ先の小説・エッセイや文庫本がある区画へ。文庫本の棚に、本に書き込みをしないようにという注意とともに、実際に書き込みされてしまった本の写真がある。「父上より先に死ぬような不幸な真似は」という、おそらくは小説の一文に対して赤字で「幸」を「孝」に直す書き込みがあり、確かにその直しは正しいがそれを図書館の本に書いては駄目よと見知らぬ人に突っ込みを入れてしまう。

この区画のそばにはバーコード式自動貸出機がある。本を重ねて置いても一度に貸出できるICタグ式自動貸出機が普及する今見ると何だか懐かしい気分、1冊バーコードを読み込むごとに次の本をバーコードスキャンするか終わりボタンを押すかしてくれというアナウンスが流れ、たくさん借りている人がいるのを感じるとこちらも借りたくなってしまうが、江東区在住・在勤の私は残念ながら練馬区立図書館では借りられない。

カウンターを挟んで反対側の一般図書の方へ移動、人生訓(159)の棚が書名の五十音順に並んでいるのを見て、これはレアものだとしばし呆然と棚を眺めてしまう。

昨年1月の池上図書館さんぽをきっかけに請求記号が同じ本をその中でどう並べているかを気にするようになって気付いたのだが、他よりも細かい請求記号が使われがちなジャンルがあり、人生訓の本もその一つだ。例えば練馬区立図書館では江戸時代の歴史本は「210.5」といったように全体的には分類番号だけからなる請求記号を使っているのだが、著者を基準に本選びすることが多いジャンルなどに限っては分類番号の後に図書記号をつけている。例えば、社会科学論文の櫻井よしこの本は分類番号の後に著者の頭文字をとった図書記号をつけて「304 サ」とする、といった具合である。

(特定のジャンルだけでなく、全てのジャンルを分類番号+図書記号としている図書館もある)

図書記号はいつでもどこでも著者の頭文字というわけではなく、作家研究本の場合は研究対象の作家の頭文字をとって夏目漱石についての研究本を「910 ナ」としたり、球技が全部含まれる783の分類を細分化するために野球の本を「783 ヤ」とする図書館もあったりしてさまざまだ。ただ、人生訓は成功した人やアドバイザー・カウンセラーとして活動している人が自分のやり方を書くようなジャンルなので、図書記号は圧倒的に著者の頭文字をとることが多い、というか、気にするようになってからそのパターンしか見たことがなかったのだ。ところが今日石神井図書館で159の図書記号に書名の頭文字をとるという新種を発見、きっとこの瞬間の私には生物学者が未知の種を見つけたときと同じ脳内物質が出ているだろう。

書名の五十音順で並んだ人生訓の棚はなかなか興味深く、例えば「40歳からの~」「50歳からの~」といった年齢で訴えかける本がひとまとまりになる。ちなみに冊数を挙げていくと、40歳・40代で始まる本が7冊、50歳・50代の本が8冊、60歳・60代が4冊、70歳・70代が4冊。「幸せ」で始まる本が3冊、「好きなこと」で始まる本も3冊なのに対して、「金持ち」で始まる本が9冊(うち5冊はロバート・キヨサキの本)もあるのを見ると、やはり先立つものはお金なのかと厳しい現実を見せられたような気分になる。

「女」で始まる本は5冊あるが「男」で始まる本はゼロで、「女」本は売れても「男」本は売れないから出版されないということなのか、逆に「男」本は人気があって借りられているからここにないということなのか、など考察というより空想・妄想のようなものが頭で膨らんでいく。もちろん石神井図書館の蔵書という限定された部分だけしか見ていないし、本の中身を示すキーワードが書名の先頭に来るとは限らないので、これをもとに何かを語るのはやりすぎだ。

他の棚も次々見ていると新書の並び方が何だか気持ちいい。途中で気付いたのだが、これも同じ請求記号の中での並べ方によるものだ。図書館では同じ請求記号の本をサイズ順で並べることが多く、石神井図書館では文庫本は私が入って最初に行った区画にある文庫本だけの棚に、それ以外は内容で分類して小さい本から大きい本へと並べている。なので江戸時代の歴史本(210.5)に行くと、江戸時代の歴史本の新書、江戸時代の歴史本の四六判、A5判…と並んでいる。

サイズに関係なく順不同に並べている図書館もあり、それに比べるとサイズ順の棚は整えた感じがあって気持ちがいいのだが、石神井図書館の場合は更に岩波新書、中公新書といったレーベルが同じ新書がまとまるように並べているのだ。レーベル名順になっているわけではないので、そのように並べる決まりにしているというよりは同じレーベルのものがあったらまとめておくようにしている、くらいの緩い並べ方なのかもしれないが、デザインが同じものが隣り合うのですっきりして見える。

ふと気が付けば、書名順の人生訓の棚の衝撃が大きかったせいか、本を開かずに棚の並び方ばかり見ている。少し気分を変えようと雑誌コーナーへ行き「暮しの手帖 2025 12・2026 1月号」の琥珀糖や消しゴムはんこの写真を見て気持ちを緩めてから、あらためて書架へ。目に留まった『東京幻想作品集』を開くと、人がいなくなって植物や動物が跋扈している東京を描いた絵がむしろ人間が暮らしている姿より豊かに見えるのが不思議。7巻まである和田誠『お楽しみはこれからだ』が微妙に順番通りに並んでいなかったのを直すついでに6巻を立ち読みしたら知らない映画ばかりで、自分がいわゆる「名画」をあまり見ていないことを痛感、そういえば渋谷区に返す本があるので中央図書館に返しに行って和田誠記念文庫を見てみるかなど考える。

そこで閉館15分前のアナウンス。今日は図書館に着いたのが17時、閉館まであと2時間なので、最後までいて閉館音楽に何を使っているか聞くつもりでいたところ、音楽なしで15分前にアナウンス、5分前にもアナウンス、19時ちょうどに学校のチャイムのようなキーンコーンカーンコーンが流れて閉館時刻を迎えるパターンだった。こういうシンプルなのもいい。下校のチャイムで学校を後にするような気分で駅へと向かった。