多摩市立中央図書館さんぽ 明日はないが明後日はある
多摩市にある実家での用事の後に、多摩市立中央図書館へ。実家のデジタル周り諸々について親任せにしていたら、iPhoneを家のwifiに繋げていないせいでiOSが古いままだったり、スマホの契約も割高なものだったりと改善すべきことが山積みの状態であることが判明して、私が実家に赴いて処理していくことにしたのだ。1日では終わらないほどやることがあり何度か通わないといけない、でもそうやって多摩センターに来るならばまだ新鮮さの残る多摩市立中央図書館もその都度寄って楽しもうという訳だ。
多摩市立中央図書館は、2023年7月に現在の場所である多摩中央公園に移転したのだが、図書館の移転と同時に多摩中央公園も再整備していて、図書館が移転開館してからも公園はしばらく工事をしていた。私が直近で多摩市立中央図書館に来たのは昨年2024年の9月、そのときもまだ図書館の公園側出口を出た右側一帯が塀で覆われていて、この立地のよさをまだ味わえないお預け感を覚えながら帰ったのだった。
その多摩中央公園も2025年4月にようやく工事を終えてグランドオープン、私にとっては今日が工事完了後初めての多摩中央公園&中央図書館である。19時少し前で既に日も落ちてしまっているが、暖色の照明がほんのり灯る大池前テラスで過ごすカップルなどがいていい雰囲気だ。
公園から図書館をみると平屋建てに見えるが実は地上2階・地下2階の建物で、丘の上にある多摩中央公園の斜面を活用して、図書館西側のレンガ坂から入ったフロアが1階、多摩中央公園から入ったフロアが2階となっている(地下は閉架書庫などのバックヤード)。そういえばこの図書館よりずっと前、1987年からある文化施設のパルテノン多摩も、左右2つのロビーエントランスの間にある大階段を2階分上がっていくと多摩中央公園に繋がっていて、こちらも斜面を利用した造り。それくらい斜面がある、つまり多摩ニュータウンが丘陵を開発したエリアであるということが見える場所だと言ってもいいくらいだ。
そうやって1,2階それぞれから入れる多摩市立中央図書館は、1階と2階でがらりと雰囲気が違うのが面白い。レンガ坂に繋がる1階は茶・黒系の落ちついた内装で、本棚が高く机席も多く、本の世界に籠る感じの空間。対して2階は公園の借景を活かした白系の明るい雰囲気で、本棚が低くて見通しがいい。本の配置もそれに合わせて、2階が児童書と一般書架のうちスポーツ・旅行・暮らし・手芸・料理など、1階はそれ以外の一般書となっている。
私が多摩市立中央図書館で一番好きなのは、1階カウンター向かって右の0 総記の棚である。もともと図書館の分類の中ではこのジャンルをよく読むというのも当然理由の一つだが、カウンターや予約図書コーナーなどが集まる円形の空間に沿って緩やかな弧になった壁面に棚があり、この曲線を進むと知の世界に誘われる感覚…は大袈裟かもしれないが本当にいい感じなのだ。
この日もそこで棚を見ていて『在野研究ビギナーズ』が目に入り、今年最初の図書館さんぽで今年こそ読もうと思ったのに結局まだ読んでないことを思い出す。この機会に序文だけでもと立ち読みし、「在野研究には明日はないが、明後日はある、明後日こそある」という言葉に強い印象を受ける。在野にある者にとっては、明日にはそれぞれの本業やら生業をせねばならぬという現実がある、でもその先に在野でもできる研究、在野だからこそできる研究がある、というわけだ。
『始めるノートメソッド』という本を見つけ、ミュージシャンの西寺郷太がノート術の本を出していたのかと驚く。そして中を開き本人のノートの実物写真を見て、精巧なイラストなども入ったまとめノートの完成度の高さにますます驚く。これらのノートをそのまま書籍化してもいいくらいの完成度、しかもプロデューサーや著作家としての活動のなかで書いたものだけでなく、学生時代の勉強ノートから既に高いレベルにあり、それをこうして読むのは面白いがノート術として読者にさあやろうというのはハードルが高すぎる。ノート術というジャンルを借りて彼の凝ったノートを鑑賞する本だと思って読むのがちょうどいいだろう。
0 総記の棚を抜けた先が新聞コーナーで、主要9紙にはその最新版専用の新聞閲覧台が設置されている。日曜の19時過ぎにその日の朝刊を読む人はおらず、そこを通るだけで今日の各紙朝刊1面が一覧できる。今日は2025年10月5日、前日が自民党総裁選挙だったので日経・朝日・読売・毎日・産経・東京・日刊スポーツと全て1面は当選した高市早苗だが、スポーツ報知だけは田中マー君だ。図書館では新聞をラックに吊り下げたり、筒状の棚に差すなどして、当日の新聞もコンパクトに収納するのが多数派だが、こんな風に1面見比べができてしまうのはなかなか贅沢な空間の使い方。この図書館は移転前まで「多摩市立図書館本館」だったのを「多摩市立中央図書館」に名前を変えているのだが、この新聞閲覧台ずらりの様子に「中央図書館ってやっぱりこうだよね」という意気込みを感じる。
そこからふらりと天文学の棚へ。2025年9月の日経新聞・私の履歴書が向井千秋氏で、「100歳くらいなら月のクルーズ飛行くらいはできるのではないか。120歳までは生きたいと思う」とさらりと書く様子に惹かれたのだ。この連載期間に金曜夕刊のコラムを担当している小説家の九段理江が、翌日で35歳になる自身の心情を、35歳を人生の折り返しとみなす男性を主人公とする村上春樹の小説「プールサイド」に絡めて書いていて、それぞれの寿命に関する感覚の差も面白く読んだ。私はといえば先日大学の同級生に「100歳まで生きると考えれば、50歳を過ぎた私たちは人生折り返し始めた辺りにいて、概ね今まで生きた時間と同じ時間をこれから使える」という自説を語り、彼女はその私の説にポジティブな気分になってくれたようなのだが、向井氏はそれを超える「120歳」想定(しかも「少なくとも」的ニュアンス)、さすが宇宙飛行士になった人のスケールが違う。
ということで宇宙の棚に行って向井氏の本でもあればと思ったのだが見当たらず、検索してみても「向井千秋 監修」は何冊かあるのだが「向井千秋 著」の本があまりなく、あっても保管場所が書庫となるような古い本ばかり。自分の本を出版することにはあまり興味がない人なのか。
天文学の棚から通路を挟んで外国文学の棚へ。図書館の外国文学の棚は、中国文学、英米文学、ドイツ文学…のように原作の言語で分類するやり方と、元の言語に関わらず「外国文学」でまとめて著者姓名五十音順というやり方がある。多摩市は後者で、外国文学棚のところどころで表紙を見せて置かれている本を挙げても、『獄中シェイクスピア劇団』(マーガレット・アトウッド著、英米文学)、『方言でたのしむイソップ物語』(イソップ原作、ギリシア文学)、『衛慧みたいにクレイジー』(衛慧(ウェイフェイ)著、中国文学)、『レンタルの白鳥』(ジョーン・エイケン著、英米文学)と言語ごちゃまぜ著者姓名五十音順である。この方式は中国のSFを何か読みたいなど特定の言語による本を探すときには不便だが、中国文学を探して棚を見ていたら別の国の面白そうな本を見つけるといったことが起こりやすく、今日の私のようにあてもなく棚を眺めるときにはちょうどいい。
と、ここで閉館音楽・G線上のアリアが流れ始める。このまま閉館の20時まで外国文学を見て過ごそう。『美は傷』というタイトルに惹かれて開いてみるとインドネシア人の著者による小説でわりとヘビーな内容らしい、『帰りたい』はロンドンで暮らすムスリムが主人公の小説、訳者が金原瑞人さんなら面白さが保証されたようなものだ…というところで曲が終わり、閉館時刻になりましたの放送。閉館時刻で曲をぶちっと切るのでも、フェードアウトするのでもなく、曲が20時ちょうどで終わるように逆算して流しているのだ。気持ちよく本棚散策に区切りをつけてもらった気分で、図書館を後にする。