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「こうとう区報」いまむかし-区報にみる“学び”の歴史-

―2008年10月4日から12月27日までの展示
visit:2008/10/18

江東図書館では、たまに3階の展示スペースを使って特集展示をしています。2008年10月4日から12月27日までの特集展示は「「こうとう区報」いまむかし-区報にみる“学び”の歴史-」です。

私はこのサイトのため、特に図書館の23区立図書館の新設・移築・改築予定リストのために、23区の広報全てに一応目を通しているのですね。中には面白い連載や、地域の商店街の情報など載っているので、読んでいるうちにいつの間にかそちらを熱心に読んでたりするんですけど(笑)。書かれている内容だけでなく、紙面の構成まで区によって違うので、見比べるとその区が何に力を入れているのかが垣間見えて面白いですよ。

展示スペースには第1号をはじめ、初期の江東区報のコピーが並んでいます。古いものから順に見ていくと、年月を重ねるにつれ紙面のレイアウトが見やすくなったり、写真が多用されるようになったり変化がありますね。

1950年3月22日発行の第27号には、清洲橋の大きな写真が掲載されており、

大川に架かっている五つの橋兩國橋、新大橋、清洲橋、永代橋、勝鬨橋のうちでは一番都民に縁のうすい橋でせう。人に知られないのも道理この橋だけは電車が通つて居りません。
深川の清澄町と日本橋の中洲を結んでいるので此の名が付けられたのですが、日本で唯一のサスペンシヨンブジツヂ(吊橋式)人通りも稀な此の橋は春の宵そぞろ散歩に最も適しております。

という文章が添えられています。「大川」は隅田川のことで、ここでいう「電車」は路面電車のことですね。清洲橋の名前の由来は、この文章を読むまで知りませんでした。

展示スペースの中央には、江東区以外の区の広報の第1号のコピーがいくつか展示されています。東京都の区部が今のような23区になったのは1947年のことですが、各区の広報第1号の発行日は、板橋区が1948年1月15日、目黒区が1948年8月1日、葛飾区が1948年9月15日、中野区が1949年3月1日、中央区が1953年4月10日、江戸川区が1956年1月20日といった具合で、結構まちまちなんですね。ただ、発行開始が遅いということは、既に発行している自治体の広報を参考にできるということなのでしょう、発行が遅いところほど第1号から見やすいレイアウトになっている傾向があります。中央区の広報の第1号なんて、本当に読みやすい。

一方、早い時期から広報を出している港区と品川区の広報第1号は、何と手書きです。港区の第1号が1947年10月11日、品川区の第1号が1947年10月30日なのですが、イラストも入っていたりして、手作り感溢れる広報です。

展示の最後は「区報からみる図書館の歴史」。江東区の図書館の歴史は、設立時は東京市立図書館であった東京都立深川図書館が、江東区に移管されたことから始まります。展示してあった文章を引用すると、

深川図書館は、平成21年秋創立100周年を迎えます。
 明治42年、日比谷図書館に次ぐ東京市(現在の都)2番目の図書館として開館しました。
 大正12年関東大震災によって図書館は焼失しますが、テント張り仮事務所で活動を続け翌6月、仮設図書館が建てられました。その後昭和3年清澄庭園の一画に3階建ての重厚な建物として再建されました。
 日中戦争、太平洋戦争の戦禍をくぐり抜け戦後いち早く開館しています。
 戦禍の中で、貴重な文化財をリュックに詰めて逃れ守り抜いたことや貴重な図書を残したこと、戦後いち早く夕方6時までの開館延長を行い、区民本位の図書館へと発展してきました。
 現在、その精神は区内10ヶ所1分館の図書館へと引き継がれ、区民に親しまれる図書館として、事業を展開しています。

とのこと。書籍、すなわち紙にとっては水も火も大敵なので、震災や戦争は図書館には大きなダメージを与えたのでしょうし、そのダメージから資料を守ってくれたというのはありがたいことですね。ただ、あちこちの区の図書館にお邪魔している私としては、江東区の図書館が区民本位かと言われるとどうかなあという気もします。リュックに貴重資料を背負って戦禍から守った人達の精神をしっかり受け継いで欲しいところです。

さて、その江東区立図書館の歴史を区報で見てみると、江東区報が1947年12月から発行されるようになったのに対し、深川図書館の都から区への移管は1947年4月。区報発行がもう少し早ければ、華々しいニュースとして掲載できたかもしれませんね。都からの移管ではなく、区立図書館として建てられた最初の図書館、城東図書館が完成したというニュースは、1955年4月5日の江東区報に掲載されています。この城東図書館は、現在の総合区民センター内に移設される前の旧城東図書館のことですね。

1970年8月から1993年7月15日までサービスを行っていた移動図書館「しおかぜ号」のことも、区報に何度も掲載されています。巡回場所を見てみると、公園や学校の敷地だけでなく、洲崎神社や亀戸の香取神社も回っていたんだなあ。それに団地も、住民が多いし、駐車場所の確保もしやすいのでしょう、巡回場所になっていますね。

1969年10月20日の江東区報には、町内会が自ら作った図書室が紹介されています。この時点での江東区立図書館は深川図書館と城東図書館しかないので、小規模であってもこうした町会図書館は喜ばれたことでしょう。区報の記事には

夏休み期間中は勉強会ももたれ、近所の大学生が小、中学校の宿題を教えましたので、毎日勉強にくる小、中学生で町会会館内の読書室はいっぱいでした。

というエピソードも紹介されていて、微笑ましい光景が浮かんできます。

区報とは別ですが、展示スペース中央付近のガラスケースの中に「東京市立図書館と其事業」という資料があります。添えられた説明文と資料自体の状態から察するに、同名の刊行物(東京市立図書館の広報誌?)を司書の方が毎号集めて、自ら製本したものではないかと思います。第1号は大正10年10月の発行で、この時点で存在していた東京市立図書館は、日比谷・麹町・一橋・外神田・日本橋・両国・京橋・月島・三田・麻布・氷川・四谷・牛込・小石川・本郷・臺南・浅草・本所・中和・深川の20館。この頃の東京市は今の23区よりも狭いし、社会基盤も現在ほど整っていないことを踏まえると、館数としてはかなり充実しているのかな。

これらの東京市立図書館のうち、日比谷図書館だけは有料だったんですね。児童(児童の利用者なのか、児童資料なのかは、この展示物だけではわかりませんでした)と新聞・雑誌は無料なのですが、それ以外は
 館内閲覧1回券…3銭
 館外閲覧丁種有効期限10日…30銭
 館外閲覧甲種有効期限1年間…5円
などとなっています。「館外閲覧」といのは貸出のことでしょうか。この頃の図書館の様子がどんなものだったのか、知りたくなりますね。

昔の資料をいろいろ読んでいると、今は当たり前だと思っていることが、昔は当たり前ではなかったということを実感します。また、今当たり前と思っていることも、何十年か後には「こんなことやってたの?」と思われているかもしれませんね。今という時代を客観的に見るためにも、昔の資料を眺めるのは楽しいです。