トップ図書館訪問記図書館さんぽ記事一覧 > 砧図書館さんぽ記事 調布のことを世田谷で知る
トップ図書館訪問記世田谷区世田谷区立砧図書館 > 砧図書館さんぽ記事 調布のことを世田谷で知る

砧図書館さんぽ記事 調布のことを世田谷で知る

visit:2026/01/27

借りている本を返しに世田谷区立砧図書館へ。この日が返却期限の本があり、どの図書館に行こうかと世田谷区立図書館のウェブサイトを見た。そしてこの1月から世田谷区成城9丁目の人が調布市立図書館に利用登録できるようになったということを知り、そういえば成城9丁目から一番近い砧図書館にも久しく行っていない、では今日はここへとなったのだ。

私はこのサイトを運営しているため都内の図書館のウェブサイトを折に触れ見ているが、成城9丁目の人が調布市立図書館を使えるようになったというお知らせは、世田谷区立図書館ウェブサイトには掲載されているものの、調布市立図書館ウェブサイトには掲載されていない。調布市立図書館のことなのに世田谷区立図書館ウェブサイトで知るというのは何とも不思議な気分である。調布市の方では特に広報することもなく、利用登録の説明に世田谷区成城9丁目がひっそり加わっている。

よくよく考えると、たとえ調布市立図書館ウェブサイトのお知らせに掲載したところで、今まで登録できなかった成城9丁目の人が調布市立図書館ウェブサイトを見るはずもなく、該当する人には伝わらないだろう。伝えたい相手が見ないところに掲載しないというのは理には適っている。もっと根本的なところでどうしてこういうことが起こるのかを考えると、調布市は在住・在勤・在学地で利用登録条件を絞っているのに対して、世田谷区が在住地に関わらず誰でも登録できる、その非対称性からである。

例えば、2025年12月以前で利用登録条件が広がったのは、2023年5月に小平市と東大和市、小平市と小金井市がそれぞれ相互利用協定を結んだときなのだが、この場合は小平市立図書館ウェブサイトには「相互利用協定によって東大和市と小金井市の図書館が利用できるようになりました」、東大和市立図書館ウェブサイトには「相互利用協定によって小平市の図書館が利用できるようになりました」のように掲載された。互いに利用できるという情報なので、どちらにも掲載されて当然である。

対して、どちらか一方が在住地に関わらず誰でも登録できる場合、もう一方だけが利用登録できる条件を増やしたかたちになり、どこでどうやって広報するのが正解なのか微妙な感じだ。朧げな記憶では、大田区立図書館が「大田区在住・在勤・在学の人のみ」から「大田区在住・在勤・在学、及び、品川区・目黒区・世田谷区・渋谷区在住の人」に登録条件を広げたときに、品川区・目黒区・世田谷区・渋谷区の図書館ウェブサイトでその情報を見た記憶はない。よその図書館の情報ながら条件に当てはまりそれを使いたい人ならきっと見ている世田谷区立図書館ウェブサイトにそれを掲載するというのは、世田谷区もなかなか親切である。

ついでに言うと、これによって調布市立図書館は世田谷区民のうち、給田1・3・4・5丁目、世田谷区上祖師谷4・5・7丁目、成城9丁目に住む人が登録できるようになった。自治体単位ではなく町の○丁目で刻むという何とも細かい設定、こんなことをしているのは東京都では調布市だけである。これも相互協定に寄らない決め事だからこんなことになるのだろう。調布市に接しているということでは成城4丁目や8丁目も入れていい気もするが、今のところは9丁目だけ。勝手な想像では、成城9丁目に住む人に「調布市民は世田谷区立図書館を使えるのに、世田谷区民はどうして調布市立図書館を使えないんだ」と言われてとりあえず少し広げた、といったところかもしれない。

利用登録条件ネタで思いのほか紙幅を費やしてしまった。こういうことを面白いと思うのでこういうサイトをやっており、ついつい長くなってしまう。思えば小金井市も昔は在住地に関わらず誰でも登録できたなと連想は尽きないが、砧図書館に場面を戻そう。着いたのが18時過ぎ、閉館時刻の19時まであと1時間を切っているが、本を返却した後に久しぶりの書架をぶらぶら見る。

1階の日本の小説の棚を順に見ていると、著者名「わ」まで来たところに、複数の著者によるエッセイ本と小説本は雑誌コーナーの方にあるという案内が貼ってある。そういえば前に来たときもそうだったようなと朧げな記憶を辿りつつ行ってみると、小さい雑誌用のラックに複数の著者によるエッセイ本と小説本が詰まっている。元から図書を入れることを想定した棚が横長い板に本が並ぶのに対して、こちらは10冊前後入る箱が上下左右に並ぶかたちで一箱図書館を思わせる可愛いらしさがある。

昔からある図書館ではたまに見かけるが、週刊誌ではない方の「文藝春秋」や「本の雑誌」、岩波書店の「世界」などのサイズ、あの小さいサイズの雑誌にぴったりの雑誌ラックがある。おそらく昔はあのサイズの雑誌が多かったのだろうが今はもっと大きいサイズの雑誌が多く、あのサイズが20種以上収められる雑誌ラックがあっても所蔵雑誌のうちそのサイズのものは20種もなくて、それを持て余している図書館も多い。それをある図書館では展示コーナーに使っていたり、別の図書館ではCD棚に使っていたりと、雑誌ラックではない何かに流用していて、図書館巡りをする身としては面白い使い方を見ると気持ちが上がるのだが、砧図書館では複数の著者によるエッセイ本と小説本を入れているのだ。

どんな本があるのかと目を走らせると『直木賞受賞エッセイ集成』が目に留まる。昨年10月にゆいの森あらかわで聴いた朱川湊人氏講演会で触れていた直木賞受賞時のエッセイというのがおそらくこれで読めるはず。氏のエッセイを読むと、関西に生まれ育ち、その後東京に来て足立区西保木間に引っ越し、小学校高学年の時に花畑図書館が開館したことで借りては読むようになったとある。「1人二冊までが決まりだったが、兄たちの名前の貸し出しカードも作り、いつも一度に六冊借りていた」という文章に、その頃は1人2冊だったのかと今との違いに時の流れを感じる。この頃は各館での制限(花畑図書館で2冊借りていても別の足立区立図書館に行けばそこで2冊借りられた)で区立図書館全体で貸出上限を設けている今とは違うとはいえ、今の足立区立図書館で足立区民が本を借りる際の上限は10倍の20冊、50年の間にそれだけ図書館の充実度が上がったということだろう。

本を棚に戻して書架を歩いていると、閉館15分前のアナウンスの後にエリック・サティのジムノペディ第1番が流れてくる。図書館に着くのが遅かったとはいえ1冊さっと目を通しただけで図書館を去るのは心惜しく、それを補うと言わんばかりに何か1冊借りようと本を探す。

ジムノペディ第1番に追い立てられつつも、セルフ貸出機で自分で手続きすればいいから閉館ぎりぎりでもそれほど迷惑ではないだろうと、面白そうな本を粘って探す。坂口安吾『堕落論』が目に入り、気に入って聴いているYouTubeチャンネル「シャボン 朗読横丁」で最近坂口安吾の朗読の投稿が続いているのを面白く聴いているところだったので、たまには文字で読むかと借りることにする。

セルフ貸出機で貸出冊数を1と入力、その後ICタグを読み取り『堕落論』と書名を表示するはずのところでなぜかまた貸出冊数を入力する画面に戻ってしまう。もう一度試しても同じで、更にもう一度試したら「他の人に貸し出されています」というメッセージが出た。違う誰かに貸し出されているのか、よくわからない間に私への貸出手続きが済んでいるのに私がもう一度貸出手続きをしようとしているからこのメッセージなのか、もう何だかわからない。カウンターで本の状態を見てもらったところ私でない誰かに貸出中の状態だったようで、返却手続きをした後に私への貸出手続きをしてもらった。こんなこともあるんだな。

閉架音楽は5分前にもう一度アナウンスが入ったあとに別の曲に変わっていたが、それどころではなかったので曲名は覚えていない。バタバタと図書館を出た慌ただしさを鎮めるべく車内で坂口安吾の飄々とした文章を読もうと駅へ向かった。