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ゆいの森あらかわさんぽ 物語を作るということに思いを馳せる

visit:2025/11/16

朱川湊人氏の講演を聴きに、ゆいの森あらかわへ。講演自体ももちろん楽しみだが、私にとってはゆいの森ホールでのイベントに行くのが初めてで、あの空間がどんな感じのホールになるのかを見たいというのもこの講演に申し込んだ大きな理由である。

ゆいの森あらかわは「荒川区立中央図書館+吉村昭記念文学館+子どもひろば=ゆいの森あらかわ」なのだが、それぞれの区画が分かれているのではなく融合して1つの施設になっている。その1階から2階にかけての中央に劇場の座席のように階段状に閲覧席が並んでいて、イベントをするときにはそこがホールになるのだ。いや正確には「ホールの座席を普段は閲覧席として開放している」ということになるのだろうか。イベントを行うホールということは大きな音が発生するわけで、普通に考えると図書館エリアに音が漏れることがないように閉じた空間にして防音をしっかりすることになるだろうが、ここは1階の絵本エリアに繋がるかたちでホールらしさが薄く、左右の壁には絵本が飾られていることもあって「本が読める大きな空間」という様子なのだ。

講演会の始まる少し前に図書館に着いてみると、絵本エリアに繋がる座席の対面にシャッターが降りて閉じられたホールとなっている。ホールを囲う2階の壁が透明で、2階の通路からホールの様子が見下ろせるかたちになっているのが面白い。小説家の講演を聞く場所として壁に絵本が点在しているというのもとてもよくて、映画の上映もできるし実際に開催しているとは思うが、やはり本に関するイベントがふさわしい空間だと思う。

講演は朱川氏の温かいお人柄が伝わる、そして子どもの頃の話を何十年経った今もありありと思い描くように語る様子がさすが小説家だという内容でとてもいい時間だった。ここだけの内緒の話をしてくれるサービス精神もあれば、朱川さんの人生に大きな影響を与えた経験のお話には会場にいる多くの人が切ない気持ちになったはず…いや「切ない」なんていう簡単な言葉で済ませてはいけないような大切な話を聞かせてもらった。

現在は荒川区に住む朱川氏だが『花まんま』で直木賞を受賞した当時は足立区民で、受賞後間もない頃に足立区立中央図書館に行ったら入口そばに「足立区在住 朱川湊人氏『花まんま』直木賞受賞」という紙が掲げられていたのを私もよく覚えている。いや、私の記憶が確かなら「足立区花畑在住」とまで書いてあって、宣伝・応援のつもりとはいえここまで在住地を明かしていいのかと思った記憶がある。その後、ゆかりのある花畑図書館に「朱川文庫」コーナーが設置され、2012年には朱川氏が監修、足立区立中央図書館が編集した『足立の昔がたり』が発行されるなど、東京の図書館を見ている私には足立区との結びつきが強い作家という印象だったのだが、これからは荒川区立図書館の触手が朱川氏へとたびたび伸びていくのだろうか。今日も時間が足りないくらいだったので、機会があればぜひまた話を聞いてみたい。

講演会の後は書架をぶらぶら、子どもの頃見逃したウルトラマンシリーズのタイトルから話を想像していたことが現在の朱川氏の作家活動に繋がったのかもと考えながら、文学理論・作法(901)の棚で足をとめる。最近気になっている執筆家の山本貴光『文学のエコロジー』を手に取ってみるがなかなか手ごわそう、ノーベル文学賞受賞作家のマリオ・バルガス・リョサ『若い小説家に宛てた手紙』は小説の書き方を語る内容ながらこれ自体が文学作品として読みふけってしまう文章で時間があるときにじっくり読みたくなる。

そのまま棚を順に見ていくと、『性格類語辞典』『感情類語辞典』『対立・葛藤類語辞典』『トラウマ類語辞典』『感情増幅類語辞典』と人間の感情に関わる類語辞典がずらり。どうやら小説を書くにあたって登場人物の性格を作ったりストーリーを作ったりするための辞典のようで、『性格類語辞典』はポジティブ編ネガティブ編の2冊があるという充実ぶり。開いてみると、それぞれの性格について、要因(その性格を持つ背景には何があるか)、行動や態度、セリフの例、衝突するキャラクターの属性、試されるシナリオといった項目がまとめられていて、例えば「遊び心がある」という性格なら、衝突するキャラクターの属性として完璧主義者や勉強家、試されるシナリオとして「愛する人にとっては深刻な問題に遊び心でうっかり足を踏み入れてしまう」といったことが挙げられている。

こうして類型化されてしまうと小説なんてこの組み合わせにすぎないと言われているようで興ざめしてしまう部分もあるが、これで全てを網羅しきれているわけではないだろうし、組み合わせたうえでそれを文章でどのように描くかこそ作家の腕の見せどころと思えばいいのか。むしろ『若い小説家に宛てた手紙』がそれ自体文学作品であるように、この類語辞典を編むということ自体が創作活動と言える気がしてきた。本に囲まれたこの大きな空間、棚にある一つ一つの本に作り手の思いが込められていると思うと、人間の人間による人間のための知の集積の中にいるという感覚に圧倒されるのだった。