「港区の図書館を訪れた著名人 色紙と原稿展」
visit:2009/11/29
みなと図書館では、2009年の読書週間の際、「港区の図書館を訪れた著名人 色紙と原稿展」と題して、イベントで図書館にいらっしゃった著名人の色紙や原稿を展示していました。展示場所は、2階の参考図書コーナーへと続く廊下のガラス棚。私も展示最終日ぎりぎりの11月29日に行ってまいりました。
一番手前には、2009年11月8日にみなと図書館で読み聞かせのイベントを行ったばかりの志茂田景樹さんの色紙がさっそく展示してありました。色紙に書かれた「いまが出発点」という言葉は、58歳になってから自身にとっての新しい活動である読み聞かせを始めた志茂田さんから発せられると、現実味のある言葉ですね。
そのお隣には大江健三郎氏(1989年3月18日みなと図書館来館)の色紙。こちらは春の来館ということで、古今和歌集から春の和歌を引用した色紙です。1989年だとノーベル文学賞受賞以前ですね。図書館ではどんな話をしたのでしょうか。
丸山才一氏(1966年11月16日三田図書館来館)の色紙には「色絲詞綴委春風」。色紙に綴る詞を春風に委ねるってこと?11月に書いた言葉としては何か違う気もする…。意味のわかる方がいらっしゃったら、どうぞ無知な私に教えてください(苦笑)。
大抵の色紙は上記のように何かしら文言が添えられているのですが、至ってシンプルな色紙もあります。藤原新也氏(1986年3月15日みなと図書館来館)の色紙は、自身の名前と訪問した日付のみ。でも、これは色紙中央に書かれているので、色紙としてはまだ文字が埋まっている印象。
それに対して、つかこうへい氏の色紙と言ったら。「つかこうへい」の文字が色紙の左に書かれ、中央やや下よりに小さく日付が書かれているのみ。右上に大きな空白があるこの配置は、見たものの読解力でこの空白を読み取れ、ということなのでしょうか。試されている気がするのは、気のせい??
色紙を出されて、さらっと絵が描ける人って格好いいと思いません?港区の図書館に色紙を残した著名人の中にもそうした方は何人かいらっしゃって、例えば講談師の一龍齋貞鳳さん(1968年11月4日三田図書館来館)。やさしげなお多福顔の絵が大きく描かれていて、掛けていると福をもたらしてくれそうな色紙(笑)。
森村桂さん(1967年11月29日三田図書館来館)の絵もいいですよ。椰子の木を挟んで二人の人が踊っている絵なのですが、遠目で見ると人の顔のようにも見えるんです。椰子の実が目で、椰子の葉が眉毛という感じで。南の島で楽しく暮らしている雰囲気の、見ているだけで楽しくなってしまう絵です。
イラストいり色紙で一番の注目は、やはり手塚治虫(1964年3月25日三田図書館来館)でしょうか。鉄腕アトムが岩に腰掛けて読書しているイラストです。これ、よく見ると下にも同じようなイラストが描かれていて、その上に紙を貼ってまたイラストが描かれているのですよね。一度失敗して、上に紙を貼って描き直したのかなあ。頑張って下の絵を透かして見ると、心なしかアトムの左の目玉が大きすぎる気がするし。これ、結構太目の筆(筆ペン?)で描かれているので、いつも描くのに使っているものとは勝手が違いそうだもんなあ。
こうした色紙のほかに直筆原稿もありました。村上元三・内村直也・戸板康二・池波正太郎という面々の直筆原稿をどうして図書館が所蔵しているのかと思ったら、この原稿(村上氏から順に、「港区歳時記」という本の一巻~四巻の「序」の原稿)を出版したのは三田図書館なんですね。
今やパソコン等で執筆する方がほとんどでしょうから、こうした直筆原稿は更に貴重になっていくでしょうね。「原稿用紙」自体が懐かしいものとなってしまうのかも(もしかして、もう既になってます?)。
こんな風に何人もの色紙や直筆原稿が並ぶ中、私の印象に一番残った色紙は串田孫一氏(1964年7月18日三田図書館来館)の色紙。「黙って読む」という言葉は、あちこちの図書館に行っては訪問記を長々と書いたり、日々読んだ本の感想をたらたら書いている私を否定されている気さえしてしまいます(笑)。でも、これからも書きますけどね(笑)。「黙って」というのは、文字通り静かに読むというよりは、『まずは批判や早まった評価などせず作品を受け入れる』っぽい意味と私は解釈しました。
色紙を出されて何をどう書くか。小説や詩などとはまた違った顔が見えたり、「やっぱりな」「らしいな」と思える色紙だったり、本当に人それぞれ。こうした色紙は、図書館のどこかに保管してあるだけではもったいないので、ぜひこれからも折を見て公開してください!