粕谷図書館さんぽ 松岡正剛で本棚巡り
世田谷文学館の展示「本が世界、世界が本。」松岡正剛 千夜千冊の贈りものを見た後、そこから一番近い図書館である世田谷区立粕谷図書館へ向かう。千夜千冊に触れて、松岡正剛の千夜千冊の深みを読みたいと思う人もいれば、自分も千夜千冊的に読書をしたいという方向に行く人もいると思うのだが、私は後者のほうである。いわば、大谷選手の素晴らしい野球プレイを見て楽しむより、つたない草野球でいいから自分がやる方を楽しむとでも言おうか。そういえば中学生の頃に一度だけ女性の野球チームを作ろうとしている人達に混ざってキャッチボールしたことがあったことを思い出す。
世田谷文学館から粕谷図書館へは千歳通りを南下して、粕谷区民センター通りと交わったところで西に曲がって数分。普通の速さで歩いても合わせて10分もかからない。建物前には自転車がたくさん、展示部屋に最大でも3名しかいなくて独り占め感を味わえた世田谷文学館と比べると、だいぶ人が集まる場所に来てしまったような感覚だ。
粕谷図書館は粕谷区民センターの地下1階にある。規模は中程度だが、途中までは細長く伸びる階段が降り口では弧状に広がっていて、「本が並ぶ開けた空間に降りてきた」という気分になる造りだ。36席ある机席は学校帰りらしき中高生で埋まっている。駅から近い場所ではないので、この辺に住んでいるか、この辺に学校がある人にとって便利な図書館ということなのだろう。棚脇にある椅子席には「優先席シルバーシート」と大きな文字が貼ってある。優先席が必要なほどシルバーもシルバーでない人も多く来館するということか。
松岡正剛からの連想で、情報の本を読もうかと総記(0類)の棚へ行く。『僕らが毎日やっている最強の読み方』が目に留まり、開いたページが新聞の読み方について書いたところで、先日の日本経済新聞のコラムを思い出す。
毎週土曜の朝刊で漢字学者の阿辻哲次氏がコラムを書いているのだが、5月9日のコラムで新聞各紙の題字、一面に「日本経済新聞」「朝日新聞」のように新聞紙の名前が書いてあるあれを取り上げていた。私がこれまで自分か家族が購読することで毎日紙面を読んでいた時期がある新聞は、日本経済新聞、朝日新聞、読売新聞なのだが、このコラムを読むまで読売新聞の題字の「読」の中の「売」と2文字目の「売」が微妙に違うことは全く知らなかった(「読」の右側は「土」の下に「四」、「売」は「十」の下に「四」)。朝日新聞の題字の「朝」「新」が現在の漢字と違っているのも知らなかった。
ちなみに今は日本経済新聞を電子版だけの契約で購読しており、ブラウザ版の日本経済新聞は上部に紙面と同じ字体の題字があるもののアプリ版にはどこにもその題字がなく、私はもっぱらアプリで読んでいる。題字の秘密に気付かずにいたまま、題字のない世界に来てしまった。
粕谷図書館にある松岡正剛の本を読もうと思い付き、検索してみたら17冊ある。面白いのは日本図書分類で分けたときに「文学」「読書・出版」「哲学・宗教・心理」「歴史・地理・民俗」「社会・政治」「芸術・芸能」「言語・語学」と多岐に渡っていることだ。このようにいろいろなジャンルで著作を出している人はいて、パッと思いつくのは荒俣宏や都築響一、こういう著者のうち誰か1人を取り上げ著作を求めて図書館の棚を歩くのも一興だ。スマホがなかった頃にこれをするとしたら館内の検索機でレシートを何枚も出さないといけないところだが、今はスマホから世田谷区立図書館のウェブサイトで検索すればいい。さっそくこの検索結果を手に歩き出す。
検索結果1冊目は『色っぽい人々-同色対談』。松岡正剛がいろいろな人と対談した記録で、エッセイ(N)の棚に置いてある。開いて真っ先に目に留まるのが掲載写真の松岡正剛の若い姿。発行年は1998年、髭がない松岡正剛を見ること自体が私にとって初めてだ。対談相手は、山口小夜子、藤原新也、辻村ジュサブロー、ワダエミなどなど。特定の時代だけに活躍していた人たちではないけど、ラインナップに時代を感じる。
2冊目『岩波講座現代社会学5 知の社会学/言語の社会学』を求めて社会学(361)の棚へ。学者たちがそれぞれのテーマで書いた講座的文章をまとめた本で、収録されている松岡正剛の文章のタイトルは「声のコミュニケーション・文字のコミュニケーション」。こうして本が並ぶ図書館にいると文字の方ばかり意識してしまうけど、声、音、読み方で伝える/伝わるものもあると気付かされる。
3冊目『美味しいと懐かしい』、4冊目『空海-世界的思想としての密教』はともに貸出中なのでスキップして、5冊目の『3・11と私-東日本大震災で考えたこと-』がある災害(369.3)の棚へ。書名を見たときに責める相手(人・組織)を取り上げて糾弾する文章だったら嫌だなと思って警戒したのだが、石牟礼道子、辻井喬、加藤登紀子、津島佑子といった面々が、広い視点で震災をきっかけに人間社会を見つめ直すような内容で、警戒モードを解除しながら読む。こうやってまず警戒してしまうのは、SNSのそういう側面にすっかり嫌気が差している表れだと自覚する。
同じ段にあった『地震に強い収納のきほん』も気になって手に取ると、読者がこの本に基づいて自分の収納をチェックするためのページに保護フィルムがびっしり貼ってあり、世田谷区立図書館の警戒心の高さを見た気分になる。図書館では雑誌のクロスワード欄などの書き込みされがちなところに保護フィルム、蔵書の表紙をくるんでいる透明なあれを貼ることがよくあるのだが、それを単行本にも貼っているのだ。
次は歴史の参考図書(203)にある『情報の歴史-象形文字から人工知能まで』。これが面白くて、図や絵が全くなくただ文字だけで構成された紀元前6000年以前から1995年までの年表なのだが、文字の大きさや色、カテゴリー分けなどの工夫で、出来事の大きさを表したり、何と何が同時期なのかを示したりしている。歴史年表であると同時に、文字だけでどこまで表現できるかに挑戦した本といえるだろう。この表現をやってみたいという気持ちに応えるかのように、発行年の先にあたる1996年と1997年のページが白表で用意されている。
7冊目と8冊目は『白川静-漢字の世界観-』『白川静読本』でともに漢字(821)の棚にある。あらためて気付いたが、漢字に関する本は、日本語(81)の中の分類ではなく、中国語(82)の中の分類になるのか。と、ここで閉館まで15分のアナウンスが入り、A Maiden's Prayerが流れだす。現時点で辿れたのは17冊のうち半分程度、残り少ないが行けるところまで辿ってみよう。この2冊は、『漢字の世界観』の方が初心者向け講義といったスタイル、『読本』の方は五木寛之、梅原猛、立花隆などがそれぞれ白川静を語った本で、両者が棚に並んでいるのがちょうどいい。
9冊目の『多読術』は、粕谷図書館ではティーンズコーナーにおいてある。そういえば『知の編集工学』を1/6くらい読んだところで止まってしまって、家の本棚に入れたままだ。『多読術』くらい易しく書かれたものをホップステップとして読めば、『知の編集工学』にジャンプできるかもしれない。あらためて松岡正剛の編集工学にチャレンジしてみるか。と思ったところで、閉館時刻のチャイムが鳴って今日の本棚巡りは終了。それにしても1人の著者を辿ってあちらこちらと棚を歩いたものだ。
思えば、世田谷文学館にいたときから一度も座っていない。帰る前に紅茶でも飲んで一休みしようとカフェチェーン店に入る。席に着いてふと壁を見ると「ネットワークビジネス関連の方へ 入店はお控えいただくようお願いします」という注意書きがあって驚いた。こんな注意書きをしなければならないほどその種の人に居座られたことがあるということなのだろうか。
図書館巡りをしていて思うに、図書館と言うのは基本的にはどこも同じ仕組みである、でも細かく見ると違いがあって、それを見つけるのも面白い。全国展開しているチェーン店にも同じ面があって、この注意書きを烏山地域の特性といったら地域の人に嫌がられるかもしれないが、例えば我が家に近い砂町銀座のこのチェーンの店舗には「食べ物を持ち込まないでください」という注意書きが昔あった。おそらく寄り合い場所みたいなノリでちょっとしたお菓子などを家から持ち寄って話し込む人たちがいたことへの対応だろうと思うが、苦笑しつつも砂町らしいと思ってしまうのだ。図書館だけではなくその前後も含めて南烏山地域を味わった一日だった。