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杉並区立高円寺図書館さんぽ 自分の記憶力のなさにへこむ

visit:2024/12/28

3日後の開館を最後に移転のため閉館する予定の杉並区立高円寺図書館へ。今日は図書館で面白い本を見つけて気分を明るくしたい気分。というのも、Audibleで『彼は早稲田で死んだ : 大学構内リンチ殺人事件の永遠』を聴いているところで、暴力の連鎖に気が滅入っているのである。

ちなみに、この日高円寺図書館に行った時点ではこの本の朝日新聞阪神支局襲撃事件の節あたりまで聴いていて、このときの気分は本当に沈んでいたのだが、その後の大岩圭之助(辻信一)との対談がそれまでの内容と別世界すぎて、沈んだ気分もいつの間にかどこかに行ってしまったという不思議な読後感。著者と大岩氏の会話は噛み合っていない部分もかなりあって、それまで著者の思いを聴いてきた流れからするとはぐらかされているように感じてしまう面がある一方、「理屈で説明したら嘘になる」という大岩氏の考えに共感できる部分もあり、いい意味で頭がかき回されてよかった。

ともあれ、何か気分を変えてくれるものを求めて、まずは2階から高円寺図書館に入り、新聞・雑誌コーナー、ティーンズコーナー、児童コーナーをぶらぶら。もうすぐこの建物が閉館するため、ティーンズコーナーの壁で高円寺図書館へのメッセージを募集・掲示している。小さな子による簡単な感謝の言葉や、思い入れある大人の利用者からのメッセージ、更に職員からのメッセージもあって読み耽ってしまう。こうした企画をこれまで何度も見てきて、職員のメッセージも一緒に掲示されている例はあまりないが(そのように企画したというより、書きたい気持ちがある職員さんが思わず書いてしまった、という感じのメッセージ)、立場を越えてこの図書館を知っている人皆でこの建物を振り返っているという感じでいい。

小説・エッセイを置いてある1階もざっと見たが、どうもピンとくる本がないというか、面白い本を見つける自分の感度が下がってしまっている印象。これはよくないな、専門書なら何か見つかるかもしれないと3階へ。白と赤のチェック柄って図書館の一般書架の床にはあまり使われない斬新なデザインだなと思いながら、本を物色する。

言語の棚で見つけた『辞書になった男 : ケンボー先生と山田先生』は、一緒に辞書を作っていた2人が「訣別」したという言葉の強さが気になり、手にとってしまう。パッと開いたところが「マンション」という言葉の説明に関するエピソードで、確かに私もこの説明には違和感がある、でもそれをよしとする考え方もあるのかと更に興味を惹かれた。江東区在住・在勤の私は杉並区立図書館は利用できないので、書名をメモして別のところで借りることにする。

香港映画の街角』はフランス文学者・翻訳家の野崎歓が書いた本で、先生、こんな本も書いていたのかと開いてみる。私が大学2年のときに取っていた仏作文が野崎先生の授業で、著作を見つけるとよく手に取ってみるのだが、この本はレスリー・チャンが亡くなった頃の回想から始まり、レスリーファンの私としては辛い。その後も中野京子『怖い絵』に手が伸びたりして、いかん、沈んだ気分を変えたいのに、沈む本に呼び寄せられてしまっているような…。

気持ちを切り替えるべく、一般書架の隣にある地域資料の部屋へ。2階の高円寺図書館メッセージの中に、50年前から通っているという人からの1階食堂の思い出を書いたものがあったのだ。へ~、昔は食堂があったんだ、いつまであったんだろうと思って、それを調べてみようと。

「杉並区の図書館 図書館要覧」のうち目についた中で一番古い平成10年度版を開いて高円寺図書館館内図を見てみると、今の1階カウンター辺りが飲食室となっている。別の年度を行ったり来たりして、平成19年度版までが飲食室、平成20年度版から現在のようなカウンターになっていることがわかった。飲食室だった間は、1階入口もなかったよう。

古い資料を紐解いてすっかり高円寺図書館の歴史を掘り起こした気になった後、ふと気付く。平成19年は西暦2007年、私が東京図書館制覇!を始めたのが2005年で、最初の3年間で23区の図書館を全館回った。ということは、もしかして私、改修前の高円寺図書館に来たことがあるのでは。

で、当サイトの高円寺図書館訪問記を読んでみたら改修前と改修後の違いについて書いてあり、ということは食堂があった頃に私は来ていたのである。訪問記を読むに2008年3月1日にリニューアル開館、それまで2階入口しかなかった(=階段を上らないと図書館に入れない)のを1階にも入口を設置、エレベーターもこの時に設置され、バリアフリー対策を中心とした改修だったよう。先程のメッセージを読んだとき、1ミリの迷いもなく心から「食堂があったんだ!」と驚いたのに、あれは何だったんだ。自分の記憶力のなさが情けない。

逆に言えば、些細なことも訪問記に残しておけば、忘れてしまっても後でわかるということだ。それとは少し違うが、これも高円寺図書館へのメッセージの中に2階入口の傘立ての壁にある傘の形の看板が好きだと書いている人がいて、私にはない目の付けどころ、でもそういう部分的なものが好きってあるなと。そのメッセージを読まなければ私は看板の存在にさえ気付かなかった、でも読んだおかげでああこれかと青い看板を記憶に残して図書館を出た。