目黒区の図書館 50年のあゆみ
『 目黒区の図書館50年のあゆみ』は、目黒区立図書館の歴史をまとめた本で、こうした資料は図書館を設置している自治体の多くが発行しています。この本からわかる目黒区立図書館のあゆみは、私にとって、特に守屋図書館を知る上で、興味深いものでした。
守屋図書館は、住所で言うと「目黒区五本木」で、周辺地図を見ても「守屋」につながる地名はなく、どうして「守屋」なのかと思っていたんです。この本を読むと詳しくわかるのですが、この名前の由来は、守屋善兵衛氏の遺族から寄贈された宅地と住居を利用した図書館であることから来ています。現在では、23区の図書館の中で唯一の、人名に由来する図書館です。
守屋善兵衛氏は、1866(慶應2)年に生まれ、台湾日日新報社・満州日日新聞社社長を歴任した人物です。更に、これも目黒区立図書館で所蔵している『 守屋善兵衛追悼録』も読んでみたら、ベルリンに留学して独逸学を学んだ方だそうです。「独逸学」って何だか漠然としていますが、開国した時期ですから、ドイツに留学して得た知識や技術を日本に広める役割を果たしたのでしょう。『守屋善兵衛著述集録』には、主に医学論文の和訳が収録されており、中には森林太郎(鴎外)が口述したものを、守屋亦堂(善兵衛)が筆記した論文もあります。
守屋氏の遺族から1940(昭和15)年に寄贈された宅地・住居は、当初は「守屋記念館」として、集会施設として開設したのだそうです。戦時中だったので、戦時版結婚会館として使われていたのだとか。この辺りに住んでいるご年配の方の中には、守屋記念館で結婚式を挙げた方もいらっしゃるのでは。現在の守屋図書館の入口入って左の新聞・雑誌コーナーの一画に、当時の模型があるのですが、派手過ぎない洋館で、結婚式にも合いそうです。
守屋記念館は、その後保健所として使われ、その保健所が新築移転するのに伴って、昭和27年4月から守屋図書館として生まれ変わりました。これが目黒区立図書館のスタートです。その後、2002(平成14)年9月20日に八雲中央図書館が開館するまで守屋図書館が目黒区立図書館の中央館として活躍しました。
守屋図書館って、現在の基準で考えても中規模といえる図書館なので、開設した当時の基準に照らしたら、相当大きい図書館といえるでしょう。更に、『目黒区の図書館 50年のあゆみ』を読むと、改築の際に建ぺい率の基準と満たすために、改築前より建築面積を減らしたとあるので、以前はもっと大きかったんです。この資料の6ページには、東京都公立図書館長協議会会報『とうきょうのとしょかん』に掲載された守屋図書館訪問記の抜粋があるのですが、褒めすぎじゃないかというくらい褒めています(笑)。当時としてはかなり立派な図書館だったということが伺える文章です。
図書館の歴史は各自治体によって様々で、こうした資料を読むと、単に図書館の歴史だけではなく、当時の日本の様子や、他の地域との違い、貢献した人物の逸話なども知ることができるのが面白い。東京23区だと、東京市(府)立図書館だった施設が区に移管されるというパターンも多いのですが、個人的には守屋氏の話のように、地元の人々が何らかの貢献をして、図書館ができたという話が好きです。
私が知っている範囲では、他には品川図書館が、南品川宿で始められた救貧事業の一環で設立された文庫が、東京市に寄贈され、また品川区に委譲されたという経緯を持っていたりします。調べれば、まだまだこうした歴史はありそうですね。また面白い資料を見つけたら、当サイトで紹介しようと思います。