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「中野の子どもたち ~時代を育む学舎~ Part1」

―2008年9月27日から2009年2月26日までの展示
visit:2009/02/17

中野区立中央図書館の半年ごとの参考資料室の企画展示、2008年9月27日から2009年2月26日までの展示テーマは「中野の子どもたち ~時代を育む学舎~ Part1」。中野区内の小学校の歴史を振り返る企画で、Part1である今回は明治期から戦時下までの様子をまとめています。

日本で小学校が設置されるようになったのは、明治5年の学制発布以降。それまでは、いえ、学制発布されてからしばらくの間も、すぐに小学校が各地にできたわけではなく、寺子屋が子どもの教育の役割を果たしていたんですよね。この展示によると、明治7年時点で中野区内に7つの寺子屋があったことが確認されているそうです。現在の中野区立図書館が8館ですので、密度的に図書館と近い形で寺子屋が存在していたことになりますね。

そんな中野の最初の公立小学校は桃園小学校。今も青梅街道の南、中野坂上駅と新中野駅の中間くらいの位置にある小学校ですが、当時の名称は「第三中学区第九番公立小学桃園学校」といい、開校当時は青梅街道を挟んだ北側にある宝仙寺を借りて授業をしていたのだそうです。お寺を借りているために、お葬式があると臨時休校になったり、休校にならなかった場合は授業の最中にお経が聞こえてきたりという学校だったそうです(笑)。

展示によると、双鷺小学校(現在の鷺宮小学校)も上鷺宮村の福蔵院を仮校舎にしたそうで、学制が布かれたからといってそう簡単に校舎を建てられるとも限らないだろうし、お寺を校舎にしたというケースは珍しくないのかもしれませんね。学制が何ぞや、教育なんて必要ないと思っている家でも、子どもがお寺に通うことを嫌がりはしなさそうですし。

そのように桃園小学校を皮切りにした中野区内の小学校、展示には「中野区南部の小学校の発展の様子」と題して、現存する各小学校の系譜がわかるものが掲示してあったり(たぶん北部はPart2で紹介するのでしょう)、桃園小学校に続いて区内で設立された小学校が紹介されています。

これらを見ていて思ったのですが、昔の小学校名って格好いいんですよ。上に書いた双鷺小学校は上鷺宮と下鷺宮という意味で、これなんか二つあわせるなら「鷺宮小学校」だっていいところ、「双鷺」の方がいい響きだと思いません? 桃園小学校も八代将軍吉宗によって江戸時代に造られた桃園が近くにあることからつけた校名だそうで、設立後にできた分校も「桃野学校」(現在の杉並区立杉並第一小学校)、「桃井学校」(現在の杉並区立桃井第一小学校)と、「桃」シリーズで統一されています(笑)。あと、遷喬小学校(現在の江古田小学校)は

名前の由来は、江古田村の第六天社(後に氷川神社に合祀)の境内にあったけやきの巨木を校舎に使ったこと、春になり鶯が谷を出て喬木(きょうぼく)に移るよう生徒も学んで向上するようにつけられた。

とのことで、これもいい名前ですよね。今、少子化で複数の公立学校を統合することも多いけど、統合された結果の学校名も安易につけずに工夫してくれるといいなあ。私の通っていた中学校が他の中学校と統合されて、これまた平凡な名前になってしまったので、特にそう思います(苦笑)。

そうして発展してきた小学校も、戦時下では国家による統制の一翼を担うことになってしまいます。教科書の内容は国の思想を反映したものとなった上に、物資不足で数人で1冊の教科書を使うような状態。また、食料不足の中、小学校の校庭を畑にすることも行われ、展示には「何がなんでもカボチャを作れ 蒔き時は四月中旬下旬」という当時のポスターのコピーも掲示されていました。当時は笑い事ではなかったんだろうけど、「何がなんでもカボチャを作れ」って結構インパクトあるコピーですよね(笑)。

あと、へぇ~と思ったのが、集団疎開地での献立表。間食としてパン(おからパン、味噌パン、野菜パン)があったり、晩御飯にシチューがあったんです。外来語とかも使っちゃダメだったはずのに、洋食はありだったんですね。もちろん食料が不足していただろうから、今のパンやシチューとは違うものだろうけど、パンやシチューと名がつくものを出してもよかったというのは意外でした。

こうしてみると、小学校の様子を通じて時代の変遷が伝わってきますね。お葬式のお経を聞きながら授業をしていた小学校が、70年後には校庭を畑にしなければいけないというこの変わりよう。明治期から戦時下までをまとめた今回の展示は、始まりは緩く、終わりは切羽詰ったといったところでしょうか。そして、戦後の小学校はいい教育の場となっているのかというと、、、必ずしもそうは言えないような気が。Part2の展示は、今後の教育を考えさせられる展示になるかもしれませんね。